日本国憲法私注版

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「日本国憲法全文・私注版」

日 本 国 憲 法
The Constitution of Japan

―――目次―――

* 公布文
*  前 文
* 第1章 天皇(1条−8条)
* 第2章 戦争の放棄(9条)
* 第3章 国民の権利及び義務(10条−40条)
* 第4章 国会(41条−64条)
* 第5章 内閣(65条−75条)
* 第6章 司法(76条−82条)
* 第7章 財政(83条−91条)
* 第8章 地方自治(92条−95条)
* 第9章 改正(96条)
* 第10章 最高法規(97条−99条)
* 第11章 補則(100条−103条)

ここに掲載した憲法全文は、国立国会図書館ホームページの「日本国憲法の誕生」から引用しており、本来の憲法全文は、旧字体・旧仮名遣い・漢数字によって書かれていますが、新字体・現代仮名遣い・アラビア数字になっています。
また各条の見出しは、上記の引用文が第一法規出版発行『現行法規総覧』(衆議院法制局・参議院法制局共編)に従っていますので、そのまま使用しています。
憲法原文では各条が複数項に分かれている場合も、項目に番号は付けられていません。また引用した条文では、第1項には番号が付いていませんが、ここでは便宜上、複数項にはすべて番号を付けています。
注釈文中の政府、首相及び天皇にかかわる記述は、2017年2月時点を現状として書かれています。
出典及び参考元
(1) 総務省 電子政府の法令窓口”e-Gov”・法令データ提供システム
(2) <英文対訳> 法務省 日本法令外国語訳データベースシステム
(3) 衆議院規則
(4) 参議院規則
(5) 国立国会図書館 日本法令索引
(6) <憲法本文> 国立国会図書館 日本国憲法の誕生
(7) 裁判所 裁判例情報
(8) 日本国憲法を対話で学ぼう
(9) 全国空襲被害者連絡協議会
(10) 自治体法務Q&A (自治体法務ホームページ、該当記事廃止)
(11) 日本国憲法 逐条解説
(12) はじめての憲法 (プロバイダーのサービス提供終了)
(13) 首相官邸
(14) Yahoo!知恵袋
(15) Wikipedia

憲法本文 私的注釈
(公布文) 朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

御名御璽

昭和21年11月3日
ここでは現憲法が、法的な手続き上明治憲法にのっとって制式に改正されたものであることが宣言されています。

この一文を読んでも所謂「押しつけ憲法」なる言葉が、この憲法改正にかかわった人々と、戦争による苦難を耐え新憲法の公布を歓び迎え入れた人々を、いかに侮辱した言葉であるかが分かると、ぼくは思います。
  * 内閣総理大臣 兼 外務大臣 吉田茂

* 国務大臣 男爵 幣原喜重郎

* 司法大臣 木村篤太郎

* 内務大臣 大村清一

* 文部大臣 田中耕太郎

* 農林大臣 和田博雄

* 国務大臣 斎藤隆夫

* 逓信大臣 一松定吉

* 商工大臣 星島二郎

* 厚生大臣 河合良成

* 国務大臣 植原悦二郎

* 運輸大臣 平塚常次郎

* 大蔵大臣 石橋湛山

* 国務大臣 金森徳次郎

* 国務大臣 膳桂之助
所謂「押しつけ憲法」論を主張する者たちは、現憲法の公布文に名を遺した人々が、GHQの圧力に屈し唯々諾々として署名したとでも言いたいのでしょうか?
では、いったいどのような人たちだったのか、ざっと見てみましょう。

〇吉田 茂 (注、三女が麻生家に嫁して生まれた孫が麻生太郎)
〇幣原 喜重郎 (注、最近の朝日新聞の記事によれば、憲法第9条は幣原のGHQに対しての発案によるとある。昭和天皇も幣原を督励したと別の記述にあり。)
〇木村 篤太郎 (注、この年公職追放にあう。第3次吉田内閣で復権。初代保安庁長官にして、かつ初代防衛庁長官。)
〇大村 清一(不詳) 
〇田中 耕太郎 (注、のち最高裁長官として、戦後の「治安維持の一翼」を積極的に担い、現在の政治におもねる最高裁の体質を醸成した人物。)
〇和田 博雄 (注、戦前、社会主義者とされて冤罪にあったが、第1次吉田内閣発足時に、挙国一致内閣の体裁を整えるために登用され、第2次農地改革の成功に寄与した。のち左派社会 党。)
〇斎藤 隆夫 (注、戦前期に、弁舌により帝国議会で軍部やファシズムに抵抗した。)
〇一松 定吉(不詳) 
〇星島 二郎 (注、戦前は普通選挙運動、婦人参政権、公娼廃止に熱心な自由主義的・進歩的な立場を貫き、戦時中も議会政治擁護の立場を変えなかった。)
〇河合 良成 (不詳)
〇上原 悦二郎(不詳) 
〇平塚 常次郎 (注、戦前、日魯漁業などで社長を歴任、北洋漁業の覇権を手中に収めた。1946年の総選挙で初当選。河野一郎と行動を共にし、第1次吉田内閣で入閣したが、1947年GHQにより公職追放処分を受けた。追放解除後、日魯漁業社長に再度就任、政界にも復帰。)
〇石橋 湛山 (注、戦前は東洋経済新報により、一貫して日本の植民地政策を批判し 加工貿易立国論を唱え、戦後1946年に日本自由党から総選挙に出馬して落選するものの、第1次吉田内閣で入閣。戦時補償債務打ち切り問題、石炭増産問題、進駐軍経費問題等でGHQと対立、アメリカに嫌われ1947年総選挙で当選したが、GHQによって公職追放された。
この公職追放は吉田茂が関わっていると云われた。追放解除後は「日中米ソ平和同盟」を主張して政界で活躍し、保守合同後初の自民党総裁選を制して総理総裁となったが、在任2ヵ月弱で発病し退陣。後任の総理が安倍晋三のじいさんの岸信介。)
〇金森 徳次郎 (注、貴族院勅選議員を経て第1次吉田茂内閣の憲法担当国務大臣に就任。帝国議会における憲法改正審議での有名な答弁としては国体について、金森は国体を「天皇を憧れの中心として、心の繋がりを持って統合している国家」であると答弁した。これにより国体は変化していないということを強弁し国会を乗り切ることに成功した。)
〇膳 桂之助(不詳)

以上です。
日本国憲法(前文) Preamble of the Japanese Constitution
   1 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、 政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、 この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
  We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the National Diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution. 
  Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people. This is a universal principle of mankind upon which this Constitution is founded. We reject and revoke all constitutions, laws, ordinances, and rescripts in conflict herewith.
この1条は、日本国の主権が国民にあり、政府なるものの権威・権力は国民に帰することを高らかに宣言しています。
これをもってしても、憲法というものが、国民ではなく国の守るべきことを規定する法であるという精神によって、この憲法が作られたということが分かろうというものです。
   2 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免がれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
  We, the Japanese people, desire peace for all time and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world. 
  We desire to occupy an honored place in an international society striving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from the earth. 
  We recognize that all peoples of the world have the right to live in peace, free from fear and want. 
この文言が本文9条の所以とされているわけですが、単純に読むと、他国の公正と信義に信頼するから軍備をしないという意味には受け取れません。「諸国民」に「平和を愛する」と冠されているところも微妙で、「平和を愛する諸国民以外は信頼しない」と読み取れば、自衛のための戦力保持までは否定していないという論の根拠とされてもおかしくありません。
さらに次の「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」というに至っては、今日の自衛隊のPKO派遣の根拠にされているようにさえ思います。
「専制と隷従、圧迫と偏狭」という言葉も、明らかにスターリン主義の共産圏を指しているかのようです。
とすると、この文言はあくまでも、日本国がその当時の米英仏連合国側の一員となりたいという宣言のようです。
この前文を保守側がグチャグチャと文句をつけているのは、あまりここをよく読み込んでいない、理解不足によるものじゃないでしょうか。
   3 われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。
  We believe that no nation is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other nations.
  We, the Japanese people, pledge our national honor to accomplish these high ideals and purposes with all our resources. 
以上の2ヶ条は玉虫色の内容で、一見、戦前に日本が犯した朝鮮半島・北満の侵略と植民地化の反省をしているかのようですが、のちの国連PKO軍派遣に日本が参加してゆく道筋を示しているようにも見えます。
いずれにしても国際協調主義を宣言しているだけで、それ以上のものでも以下のものでもありません。
第1章 天皇 CHAPTER I. THE EMPEROR
第1条



Article 1.
〔天皇の地位と主権在民〕
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
 The Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power. 
第1条はボクなどには奇妙なものにしか思えません。

なぜならば、いきなり「天皇は」と書き出していますけれど、これがもし「大統領」とか「国家主席」という地位であれば、こんな書き出しにするはずはありません。まず「日本国は国家元首として天皇の地位を定める(置く)」と定義するべきでしょう。
つまり、日本国憲法以前にまず天皇ありきという前提であるというわけですが、戦前世代の人にとっては当然の概念でしょうけれど、主権在民の民主主義国家である日本国に生まれ育った人間としては、受け入れがたい文言です。

またこれに続く第2条もそうなのですが、天皇とは(世襲されるということ以外)何者であるのかという点に全く触れられず、天皇というものに、そもそも人格を認めていません。
ここが「終身在位かつ即位に拒否権なし」という問題の根源でしょう。地位のみ定めていて、人格は認めていないのですから。
第2条


Article 2.
〔皇位の世襲〕
皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
 The Imperial Throne shall be dynastic and succeeded to in accordance with the Imperial House Law passed by the Diet. 
第1条との文脈で考えると、天皇とは何者であるかが規定されていないのに「世襲のもの」という言葉は、実に奇妙としか言いようがありません。

また天皇の地位が終身のものであることも、皇位継承者に即位拒否の権利がないことも、これら2か条には触れておらず、ただ「国会の議決した皇室典範の定めるところ」としているのは、この憲法が保障しているはずの基本的人権(第18〜24条)に明らかに矛盾しています。

この点は最近亡くなった三笠宮が、現憲法制定時に疑問を投げかけていますが、当時の吉田内閣は無視しました。
吉田内閣は、天皇には人格権がなく、ただの機関であるという考え方を、明治政府から踏襲してきたということです。

それは現在、安倍晋三が集めた諮問機関「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」も同様の考え方に立っているように思えます。
明治憲法の時代でも、軍国主義の台頭により1935年に美濃部達吉が弾圧されるまでは天皇機関説が憲法学上の通説とされていました。今日、古くて腐った社会制度を復活させたいという連中は、軍国主義以前の明治憲法の社会に戻したいということなのでしょう。
第3条


Article 3.
〔内閣の助言と承認及び責任〕
天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う。
 The advice and approval of the Cabinet shall be required for all acts of the Emperor in matters of state, and the Cabinet shall be responsible therefor. 
第3条では、「助言」という言葉を使いながら、実体は「指示」「要求」または「命令」を意味しています。

天皇が国事行為を拒否することも「国事に関するすべての行為」の中に含まれていると解すべきでしょう。
また天皇の政治的発言をも「国事に関するすべての行為」に含まれているという解釈もできます。
単純に「天皇の国事行為には・・・」と書かれていないところがミソです。

つまり内閣の助言に従わない場合、天皇は内閣の承認を得なければならず、内閣がそのような承認をするはずはないから、普通に使われる助言とは意味が違います。
単に表現上、明治憲法的に天皇が内閣の上位にあるがごとくしたいために「助言」としたのでしょう。
第4条
   1

   2

Article 4.
〔天皇の権能と権能行使の委任〕
 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。
天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
1 The Emperor shall perform only such acts in matters of state as are provided for in this Constitution and he shall not have powers related to government.
2 The Emperor may delegate the performance of his acts in matters of state as may be provided by law. 
1項が天皇を国政に関与させない規定で、天皇と皇族が政治的な発言あるいは意思表明を行わないことになっているのも、この一文があるからのようです。

しかし単純に読むと、字義の上からは「権能」の中に、発言や意思表明まで含まれているとは解釈できません。
現在の天皇や皇族が政治的な発言をしないのは、あくまでも政治的な影響を与えないとも限らないから、内閣(国民)に遠慮しているに過ぎないというべきでしょう。

2項では、天皇が国事行為を行いえないときの代行について規定していますが、「法律の定めるところにより」としておきながら、実際にその法律ができたのは1964年(昭和39年)で、このためかどうか昭和天皇は代行法制定までの間(短期的代行を置く必要がある)海外訪問を全くしていません。
またこの2項は摂政についての規定ではなく、第7条に定めている具体的な国事行為を臨時に代行させる規定なので「天皇は・・・委任することができる」と、天皇が意思を発令すれば皇室会議などの手続きを経ることなく内閣の承認によって、皇太子など特定の皇族に委任できるようになっています。
第5条



Article 5.
〔摂政〕
皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行う。この場合には、前条第1項の規定を準用する。
 When, in accordance with the Imperial House Law, a Regency is established, the Regent shall perform his acts in matters of state in the Emperor's name. In this case, paragraph one of the preceding article will be applicable. 
目下、問題になっている天皇の退位希望表明について、一部で主張されているのが「摂政を置く」だけで済ませるべきだという論です。

現在の皇室典範では、「摂政は法律上の原因(天皇が成年に達しない時、重患あるいは重大な事故といった故障によって国事行為を行うことができないと皇室会議で判断された時)の発生により当然に設置される法定代理機関であるとされ、日本国憲法下で、現在まで摂政が置かれた事例はありません。

摂政は、成年に達した皇族が以下の順序で就任します。
1.皇太子、皇太孫 2.親王及び王 3.皇后 4.皇太后 5.太皇太后 6.内親王及び女王
女性でも摂政になれることになっている点は戦後的ですが、そもそも、天皇の退位に触れることなく、摂政についてのみ規定しているのは、いかにも明治憲法から受け継がれたという感が否めません。
第6条
   1

   2

Article 6.
〔天皇の任命行為〕
天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
1 The Emperor shall appoint the Prime Minister as designated by the Diet. 
2 The Emperor shall appoint the Chief Judge of the Supreme Court as designated by the Cabinet.
ここに掲げた日本国憲法の出典元に、第6条「天皇の任命行為」と記述されていたので、そのままにしましたが、「任命行為」というと、なにか権利・権能を持つみたいで適切ではないと思います。「責務」といったほうが正しいでしょう。天皇個人の裁量権は一切ないのですから。

国会議事堂の参議院本会議場には天皇の玉座が、議長席の背後に数段高く設けられています。これは帝国議会時代と変わりません。
しかも衆議院本会議場の天皇の座席(「御座所」と呼びます)は議長席の背後の壁にテラスのように設けられ、議員と接触できないようになっています。つまり天皇が臨席するのは参議院だけであって、衆議院は傍聴できるようなっているだけです。
記憶に間違いがなければ、現憲法になってから、天皇が衆議院本会議場の「御座所」についたことはないはずです。
第7条
















Article 7.
〔天皇の国事行為〕
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行う。 
1 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
2 国会を召集すること。
3 衆議院を解散すること。
4 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
5 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
6 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
7 栄典を授与すること。
8 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
9 外国の大使及び公使を接受すること。
10 儀式を行うこと。
The Emperor, with the advice and approval of the Cabinet, shall perform the following acts in matters of state on behalf of the people:
1 Promulgation of amendments of the constitution, laws, cabinet orders and treaties.
2  Convocation of the Diet. 
3  Dissolution of the House of Representatives. 
4  Proclamation of general election of members of the Diet.
5  Attestation of the appointment and dismissal of Ministers of State and other officials as provided for by law, and of full powers and credentials of Ambassadors and Ministers. 
6  Attestation of general and special amnesty, commutation of punishment, reprieve, and restoration of rights.
7  Awarding of honors. 
8  Attestation of instruments of ratification and other diplomatic documents as provided for by law. 
9  Receiving foreign ambassadors and ministers.
10  Performance of ceremonial functions. 
例の退位問題についての意見の中に、現在の天皇は昭和天皇に比べて「国事行為(職務)以外の公務が多すぎるから、もっと他の皇族に公務を任せるべきだ。そのためには今後皇族が減ることが明らかである以上、女王も婚姻後は皇族にとどめるよう制度を変える必要がある」などというものがあります。

しかし、国事行為10項目だけを見ても、けっこうな職務量ではあります。
庶民から見れば、ただの儀式のように見えても、必ず書類があるはずだし、そのうち署名捺印(御名御璽)が必要なものも多いはずですから、まじめに眼を通したうえで、その行為を行っていることでしょう。
寡聞のボクは、天皇・皇族にも公務員のように週休2日制が保証されているという話は聞いたことがありません。

仮に公務を他の皇族に譲ったとしても、老衰か病に伏すまで、たとえ何十歳になろうと、この10項目を忠実に職務としてこなさなければいけないというのは、たしかに奴隷的扱いであると言えるでしょう。
第8条



Article 8.
〔財産授受の制限〕
皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。
 No property can be given to, or received by, the Imperial House, nor can any gifts be made therefrom, without the authorization of the Diet. 
帝国憲法には該当する条文がなく、皇室への財産集中や、皇室と特定の個人・団体の不適切な結びつきを防ぐために規定したもののようですから、いかにも戦後的な条文と言えそうです。

このあとの第88条に
「すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して、国会の議決を経なければならない。」
と規定されていますが、財産も費用も全部、国のものなのだから、皇室は財産を勝手に処分できないというのは当然ということになります。

ただし「皇室経済法」で、外国交際のための儀礼上の贈答品交換その他について、その度ごとに国会の議決を経なくても財産を授受できる場合を規定しているので、ごく常識的な範囲で皇室の自由裁量は認められています。
第2章 戦争の放棄 CHAPTER II. RENUNCIATION OF WAR
第9条
   1



   2


Article 9.
〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
1 Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes. 
2 In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized. 
さて問題の第9条です。第1項では戦争の放棄と、武力による威嚇又は武力の行使を放棄するとあります。

ところでここには永久にとは書いてありますが、無条件にとはありません。「国際紛争を解決する手段としては」という条件付きです。
では国際紛争とはいったい具体的に何を指しているのでしょう?我が国が全く戦意もなく挑発もしないのに、他国が一方的に攻撃してきた場合も国際紛争と言えるのでしょうか?

厳密に考えれば、おそらくその答えはYESでしょう。でも9条が「自衛権まで否定していない」という論者はNOと言うかもしれません。
また武力の威嚇と行使は放棄すると書いてありますが、武力を保持しないとは書いてありません。第2項の戦力との言葉の使い分けが、実に微妙な感じです。

さらに第2項に至っては、あいまいで不明瞭な第1項であるのに「前項の目的」を達するために戦力を保持しないし、かつ交戦権を認めないと規定しています。
ゆるやかに解釈すれば、国際紛争の「解決手段」としてではなく、単に紛争被害の防止と紛争停止状態の維持のためであれば、戦力保持しても良いと言えなくもありません。

たぶん、現憲法下でも自衛隊の保持はおろか、その海外派遣も可能であるとするのは、このあたりに理由があるのでしょう。
ボクには理念ばかりが先走って、国に戦争を起こさせないための具体性に欠ける条文であるとしか思えません。つまり平和憲法と称するには最低限のレベルの宣言にすぎないということです。

それでも9条を削除しようというのは、好戦的意志の表れと見られてもしかたないでしょう。
「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄」という文言から考えれば、集団的自衛権は明らかに9条の許容範囲を逸脱していますね。
第3章 国民の権利及び義務 CHAPTER III. RIGHTS AND DUTIES OF THE PEOPLE
第10条

Article 10.
〔国民たる要件〕
日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
 The conditions necessary for being a Japanese national shall be determined by law. 
これはまたえらくあっさりとした規定です。でもSFシリアスドラマ的に考えると、とても恐ろしい規定です。

何しろ日本国民として認められるか否かの条件が、衆参両院で過半数(もし参議院で否決されても、衆議院において再議決で3分の2以上)の賛成があれば、簡単に改訂できるのですから。

第11条以下に保障されている基本的人権は「国民」だけを対象としています。
将来、多数の国民が負担・迷惑と考える対象になった人々から、法律によって国民たる要件を奪うという可能性もないとは言えません。今は国民であっても、ある時から国民ではなくなってしまうかもしれないとしたら・・・
まあ、あくまでもSF的空想ではありますが。

次の第11条以下40条に至るまで、「国民は」または「すべて国民は」と「何人も」と、そのどれも文言に入っていない場合とが、使い分けられています。
この使い分けの意味が素人にはさっぱり理解できません。
「第3章 国民の権利と義務」とされていますから、どの条文も国民が対象になっていると解釈するべきかもしれませんが、もしそうなると、この憲法制定当時に本土内に残留していた外国人住民(元日本領の朝鮮・台湾から来た人を含む)の人権について、この憲法では何も顧慮していないということになりそうです。

また、ここで言う法律に当たるものは、昭和25年に制定された「国籍法」です。その第1条に「日本国民たる要件は、この法律の定めるところによる。」とあります。
不思議なことに、現憲法制定が昭和22年施行ですから、3年間は日本国民たる要件が決められていないのに「国民」に権利と義務が与えられていたことになります。

この国籍法施行以前にも、明治憲法下の國籍法がありましたが、現国籍法が第1条に「日本国民たる要件は、この法律の定めるところによる。」と日本国憲法を受け、日本国民の定義から始まっているのに対し、旧國籍法には第1条でいきなり「生まれたときの父親が日本人なら子は日本人」という内容で始まっていて、「国民要件」の規定であるとはどこにも書かれていないので、現憲法第10条にある「法律」としては不十分であったと思います。
第11条




Article 11.
〔基本的人権〕
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。
 The people shall not be prevented from enjoying any of the fundamental human rights. These fundamental human rights guaranteed to the people by this Constitution shall be conferred upon the people of this and future generations as eternal and inviolate rights. 
この2か条はセットで考えられるべきものでしょう。

ところで基本的人権とは市民革命の時代以後に形成された観念ですが、具体的にどのような内容であるかという点については、いまだに見解・学説が統一されていないものであることに注意しなければなりません。

現憲法では第13条以下第40条まで、国民の権利と自由について述べていますが、これらが第11条の「基本的人権」の具体的な内容であるとは、どこにも記述されていません。
本来なら、第11条の第2項以下の条文としてまとめるほうが適切だったと思われます。
そうでないために、現憲法では「基本的人権」と「国民の権利と自由」とは区分して考えられ、国の行政裁量権によって、「国民の権利と自由」は制限しうるという解釈がなされています。
ということは第11条は単に理念を述べているにすぎず、第12条以下はその理念の範囲内にあるだけで、理念のすべてをカバーしているわけではないと言えそうです。
第11条と第12条で「基本的人権」と「自由及び権利」と言葉を使い分けている点がミソになっています。

これでは国民としては心もとないところですが、あとに出てくる第97条で「日本国民に保障する基本的人権は侵すことのできない永久の権利」と補足して、国がみだりに権利の内容を崩せないようになっています。
自民党の唱える改憲案は、この第97条に該当する条文がないのですが、その理由は以上に述べたようなところにあるようです。
第12条





Article 12.
〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。
 The freedoms and rights guaranteed to the people by this Constitution shall be maintained by the constant endeavor of the people, who shall refrain from any abuse of these freedoms and rights and shall always be responsible for utilizing them for the public welfare. 
第13条




Article 13.
〔個人の尊重と公共の福祉〕
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
  All of the people shall be respected as individuals. Their right to life, liberty, and the pursuit of happiness shall, to the extent that it does not interfere with the public welfare, be the supreme consideration in legislation and in other governmental affairs.
第11条第12条に続いて、この条文も具体的にいかなる権利を言っているのかが明瞭ではありません。

「生命」は説明不要でしょうが、「自由」「幸福追求」では内容やそのレベルについて具体性がありません。
これに続く第14条以下が、それを述べていると解釈するのが妥当でしょうが、そのような文章になっていないので、ともすれば「幸福追求権」という言葉が独り立ちして、生活保護や障害年金等について訴訟を引き起こすことになっているように思われます。
(その結果、そのような訴えは、たびたび最高裁で国の裁量権を盾に退けられていたとボクは記憶しています。)

やはりここは第14条以下の関連条文と「自由」「幸福追求」「権利」という文言が、どのように関連付けられているか明瞭であってしかるべきだと感じます。
第14条
   1


   2
   3


Article 14.
〔平等原則、貴族制度の否認及び栄典の限界〕
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴わない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
1 All of the people are equal under the law and there shall be no discrimination in political, economic or social relations because of race, creed, sex, social status or family origin. 
2 Peers and peerage shall not be recognized.
3 No privilege shall accompany any award of honor, decoration or any distinction, nor shall any such award be valid beyond the lifetime of the individual who now holds or hereafter may receive it.
この条文は、ごく真っ当な内容であるように思えます。

ただ、この中に使われている「門地」という表現は現在ほとんど使われていませんので、ボクなどは正確な意味はいちいち辞書を引かないと自信をもって(若い)人に説明できません。
門地=家柄。門閥。ちなみに法務省の日本法令外国語訳データベースシステムというサイトの日本国憲法の英訳では、門地=family originとされています。

また、あえて今日的な目で見ると、差別理由の列記が不足しているように見えます。
思想・信教については、この後の条文で別記されているので、まあいいでしょうが、心身の障碍や家族(所謂パートナーも含め、その戸籍・国籍・性別や犯罪歴の有無)による差別も禁止と明記してほしいところです。
現憲法が制定された時代的背景を考えるとやむを得ないとは思いますが。
第15条

   1

   2

   3

   4


Article 15.
〔公務員の選定罷免権、公務員の本質、普通選挙の保障及び投票秘密の保障〕
公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。
公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問われない。
1 The people have the inalienable right to choose their public officials and to dismiss them. 
2 All public officials are servants of the whole community and not of any group thereof.
3 Universal adult suffrage is guaranteed with regard to the election of public officials. 
4 In all elections, secrecy of the ballot shall not be violated. A voter shall not be answerable, publicly or privately, for the choice he has made. 
ここでまたボクのような凡人から見ると、奇妙な条文が出てきました。この公務員とはいったい何者を指しているのでしょう?

現代の日本で普通選挙で選ばれる公務員といえば、国会議員と自治体の首長と地方議会議員しかないはずですが、「第4章 国会」と「第8章 地方自治」に、それぞれの選定についての規定があります。
ではこの条文は、それらの議員・首長の精神的な義務を規定し、その身分についての国民の決定権を抽象的に述べたものでしょうか?
だとすると、選定はともかく罷免の権利は、いったいどのように国民が行使できるのでしょう?

解職請求(リコール)の対象は自治体の首長と地方議会議員までで、国会議員はリコールできませんから、国民の罷免権は国会議員には及ばないことになります。(全国民を対象としたリコール活動など事実上不可能ですから、権利を保障されても行使はできないということも事実ですが。)

それに対し、国民に選定権がなく内閣が任命権を持つ最高裁裁判官については、「第6章 司法」において、総選挙のたびに実施する国民審査の結果によって罷免されうると規定されているのは、実に奇妙な話です。
もしかするとこの第15条では、日本国憲法制定当時のアメリカのように、地方検事や教育委員なども普通選挙で選ばれる社会制度を想定し「公務員」と記述されたのかもしれません。
ともかく、ボクのような凡人が思い浮かべる役人や国公立学校の教職員・警察官・消防署員といった公務員が関係していそうなのは、第15条の中では第2項だけなので、なぜこのような条文ができたのか理解に苦しみます。
(かつて1979年に中野区で教育委員会の準公選制を条例化しましたが、投票率が低く、実施のたびにさらに低下した等々の事情により95年には廃止されてしまいましたね。戦後の教育委員会公選制も低投票率と党派対立などの弊害のために廃止されたようですから、日本人の選挙意識の低さがよく表れていると思います。)
結局、第15条は本文たる第1項と続く第2項は観念のみ述べていて、実際には何の役にも立たず、第3項と第4項だけが現実的な効力を持つということに尽きるようです。
第16条




Article 16.
〔請願権〕
何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
 Every person shall have the right of peaceful petition for the redress of damage, for the removal of public officials, for the enactment, repeal or amendment of laws, ordinances or regulations and for other matters; nor shall any person be in any way discriminated against for sponsoring such a petition. 
ここでようやく実効性と具体性のある条文が出てきました。ありがたやありがたやという感じです。

ちょっと引っかかるのは、このあとの第17条以下でもそうなのですが、第15条までの文言には「国民」または「すべて国民」と記述されているのに、「何人も」という言葉を用いていることです。
これはどのような意味があるのでしょう?
「何人も」が2回使われていますけれど、すべての国民を対象としているのなら、少なくとも冒頭の「何人も」は「すべて国民は」とするべきでしょうが、逆に、ここでは広く日本国籍を持たない人をも含む意味で、「何人」と使われていると解釈するのが妥当でしょう。
第17条



Article 17.
〔公務員の不法行為による損害の賠償〕
何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。
 Every person may sue for redress as provided by law from the State or a public entity, in case he has suffered damage through illegal act of any public official. 
この1か条も、先の第16条と同じく、補足する第2項以下もなく、たったの一行で、具体的かつ実効性のある内容を規定しているように思えます。

例によって「法律の定めるところにより」と記述されていますが、この法律に当たるものが「国家賠償法」で、現憲法が発効した1947年の10月に公布・施行されています。
またしても「何人も」というのが気になる点ですが、おもしろいことに国家賠償法の中では、外国人被害者も条件付きながら適用されると定められています。
となると「何人も」という言葉は、やはり国民以外も含むという意味としか考えられません。

このあたりが現憲法の曖昧さ不明瞭さを物語っているような気がします。この後の条文もそうですが、あわてて編纂したという印象が、だんだん濃くなってきました。
保守勢力から見れば、「ほら見ろ。やっぱりGHQに押し付けられたせいで、こんな風になってるじゃないか。」と突っ込みを入れたくなるかもしれません。
だからと言って彼らの掲げるような頓珍漢な憲法が正当化できるわけじゃありませんが。

ところで、公務員の不法行為による損害の最大級のものと言えば、第二次大戦中の国家総動員法に基づく国民徴用令で動員され、病傷害に倒れた人たちでしょう。
徴用令は国民全体を対象としたものであり、徴用によって死傷したのは、朝鮮籍「帝国臣民」ばかりではありませんが、日本人であろうとなかろうと、戦後は軍人か軍属でなかったものは、ほとんど保障されていなかったはずです。
徴用労働者の戦争被害についてのものではありませんが、「全国空襲被害者連絡協議会」のHPによると、
・・・・・・・・・・・・・第2次大戦中、民間人戦災者は、戦時災害保護法による扶助対象となっていました。
しかし、戦後になるとGHQ の非軍事化政策の一環として、軍人恩給の停止、軍事扶助法・戦時災害保護法を廃止すると同時に、戦争被害の救済は生活困窮者に対する生活保護などの社会福祉制度によるものとされました。
ところが、米ソ対立の深まりや朝鮮戦争の勃発という情勢の中で、公職追放が解除され、旧内務省官僚により構成されていた厚生省は、ふたたび明治憲法的な「お国の為」「お役人」であることを価値基準の上位に置く戦後処理を行うようになってしまったのです。 
このような状況を背景に成立したのが、1952年4月30日に公布された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」でした。同法が救済対象としたのは、1953年に軍人恩給復活で恩給対象からはずれた軍人軍属でした。
その後も、支給対象は、拡大されていったものの、あくまで「お国のための軍務に服した」 ことを変わらぬ基準としており、拡大は軍務や国の業務の従事者、協力者にとどまりました。
外国人の被害者を排除し、次いで日本国民についても「受忍」を原則としながら、ただ、「お国のため軍務に服した」人たちだけには援護するというのが、国内戦後処理の基本でした。
つまり、国家の命令に従った者に限定して救済するというものでした。
 ・・・・・・・・・・・・・・(以上、先のHPから部分的に引用)
なお、朝鮮人は当初国民徴用令の適用を免除されていましたが、徴用に応じられる日本人が減ったために、1944年から適用対象とされ強制徴用されています。ただこの場合の「強制」とは、日本の国民が徴兵に応じるのが「強制」であったことと同義的に捉えるべきであり、銃剣で脅しての奴隷的強制とは異なると考えるのが正しいと思います。

戦前に朝鮮籍だった戦争被害者について、国家賠償法の「第6条 この法律は、外国人が被害者である場合には、相互の保証があるときに限り、これを適用する。」となっているのですが、附則抄として、
「1  この法律は、公布の日から、これを施行する。」 
「6  この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」 
と書かれていますので、戦時中のことは対象とされなかったと思います。

また戦前まで朝鮮・韓国人は「帝国臣民」とされていましたが、サンフランシスコ平和条約発効直前の1952年4月19日、法務省人事局長通達「平和条約発効にともなう国籍及び戸籍事務の取扱について」が出され「朝鮮籍日本人」はサンフランシスコ平和条約の発効と共に日本国籍を喪失される事になったそうです。
既に国籍法が施行されていましたので、その適用変更については通達一本で済ませることができたというわけです。
敗戦とともに日本国内にいた韓国・朝鮮人の大半は、どっと半島に戻りましたが、朝鮮戦争の勃発により、また多くの人が日本に逃げ帰ってきました。
その間に国籍についての外交と行政のドタバタがあり、日本国内でヤクザ達との抗争があり、挙句の果てに朝鮮戦争が休戦になって、再び半島に帰ろうとしたら、韓国政府の政策で多くの人が帰還を拒否されて、日本にとどまり続けなければいけなくなったりと、国家や両国の為政者や同胞などに翻弄され続けたというのが、在日の人たちの多くでしょうね。

さらに付け加えますと、国家賠償法第6条は「相互の保証があるときに限り」と条件づけられています。つまり日本と相手の国の両方が、当事国民の賠償権を保証する協定と国内法を定めていなければいけないわけなので、韓国人は1965年に日韓国交正常化が実現するまで、適用対象外だったことになります。
しかもこの正常化の際に、朴政権は個人への補償は韓国政府に一括して支払うよう要求し、日本側は供与と融資でこれに応じましたが、朴政権は自国の個人にはほとんど還元せず経済基盤整備の為に使用しました。
これが最近になって三菱系企業などが賠償請求訴訟を起こされる遠因になり、韓国国内でも朴政権の当時の対応を問題視するようになったというわけです。

さらに蛇足を付け加えますが、この条は公務員が犯した不法行為の賠償は国または公共団体に求められると規定していますが、公務員には賠償を求められないとまでは言ってません。
一般的には公務員は業務上の過失についての賠償責任はないものとされていますが、現憲法でも、また国家賠償法でも、それを明確に規定しているわけではなく、1975年の最高裁判例が広く今日まで適用されているだけで、時代が変われば最高裁判断も変わり得るかもしれません。

しかし最高裁の裁判官もまた公務員ですから、この種の個人賠償責任を求める裁判を起こしても、まず最終的に勝てる見込みは今のところないでしょう。

第18条



Article 18.
〔奴隷的拘束及び苦役の禁止〕
何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
 No person shall be held in bondage of any kind. Involuntary servitude, except as punishment for crime, is prohibited. 
この条文も極めて真っ当な内容で、かつ前に問題にした「何人も」という言葉を用いているということは、広く解釈して日本国籍を持たない者も含めると言ってもよいでしょう。

もちろんこの条文を受けて、民法や労働関連法などが整備されていなければ、具体性を持たないわけです。
しかし仮に法令の整備が不十分だったとしても、例えば昨今問題になっているように、企業が労働組合と協定してあるから、という理由で「見なし労働時間制」を悪用するなどして、長時間労働を従業員に強要した場合なども、法の不整備は国の不作為であるから憲法違反として、企業ではなく国を相手に訴えることも可能だと言えるのではないでしょうか。(この辺りは専門家に意見を聞いてみたいところですが。)

その意味で「奴隷的拘束」や「意に反する苦役」といった、定義が不明確でいかようにも解釈しうる、抽象的な表現の言葉を用いているのは、かえって弱い立場にある国民にとっては都合が良いように思われます。

ただ、第1条第2条で触れたように、天皇はこの第18条の対象外であり人格権を認められていない存在であるというのは、やはり問題ではないかと考えます。

では最近やたらと話題にされているブラック企業のサービス残業は、憲法違反として訴えることができるでしょうか? 

私企業は憲法違反を訴えられることはないはずなので、労働基準法または36協定の違反、もしくは36協定に関わる旧労働省告示の基準に対しての違反ということになりますが、労働基準監督署が故意に見逃しているのであれば、国または都道府県の不作為として訴えることができるのではないでしょうか。
その際に憲法順守を怠っていると主張できるのではないかと思います。専門家の見解はどうでしょうか?
しかし、企業に憲法の精神を遵守させる必要があるのに、国(の代表的な政治家たち)が現憲法を大っぴらに否定しているようでは、どうしようもありませんね。
第19条

Article 19.
〔思想及び良心の自由〕
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
 Freedom of thought and conscience shall not be violated. 
現代の日本人から見れば、いたって当然の権利について述べているに過ぎませんが、明治憲法下で思想弾圧が横行したことを考えれば、たいへん重みのある1か条です。
しかしボクには大きな不満があります。

戦後のドイツ憲法では、ナチスの合法的な政権獲得を許した歴史的教訓から、自由主義・民主主義を防衛する義務を国民に課し(国民の憲法擁護義務)、表現の自由や結社の自由などを自由主義・民主主義に敵対するために濫用した場合は、これらの基本権を喪失する旨の規定が置かれているとのことで、具体的にはナチス思想を称賛したり喧伝することが、刑法で禁止されています。
「戦う民主主義」=民主主義を否定する自由・権利までは認めない民主主義であるとWikipediaに説明があります。

日本ではどうでしょう。戦後になってから、軍部独走と国民の煽情的愛国心を招いた根幹思想である皇国主義・皇国思想を、国として明瞭に(立法により)禁止したでしょうか? 
思想及び良心の自由を侵してはならないのなら、侵そうとする思想は禁じるべきではないでしょうか。皇国思想には、そのような意図は含まれないなどというのは、ただの言い逃れです。

さらに付け加えるのなら、この条以前では「すべて国民は」あるいは「何人も」と主語又は対象者を明確に述べているのに、ここで言う思想と良心の自由とは、いったい誰のものを指しているのでしょう?
また、これを侵してはならないとは、誰に対して言ってるのでしょう?
実に大切な条文であるからこそ、その言い回しについては明確さが求められると、ボクは考えるので、この条文は当時の政府がイヤイヤ書いたとしか思えないのです。

その結果、君が代、日の丸を良心上の理由により忌避する教職員が、東京都その他で処罰されて、この19条を盾にとり処分取り消しの提訴が毎年のように起きたことは、周知のとおりです。
これというのも、日本には憲法裁判所という独立した司法機関がなく、裁判所の違憲審判は直接的に行われないことになっているためです。
民事にせよ刑事にせよ、とにかく一般の訴訟の中で法令や行政の憲法違反を訴える以外に、違憲審判を国民が求めることができないというのは、やはり国民の不利益になっていると考えるのが当然だと思います。
第20条
   1


   2

   3

 Article 20.
〔信教の自由〕
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
1 Freedom of religion is guaranteed to all. No religious organization shall receive any privileges from the State, nor exercise any political authority. 
2 No person shall be compelled to take part in any religious act, celebration, rite or practice.  
3 The State and its organs shall refrain from religious education or any other religious activity. 
さてここで、憲法違反が世の中に横行している典型的な条文が出てきました。

「いかなる宗教団体も国から特権を受けてはならない」のであれば、いったいなぜ宗教法人は収入や固定資産に対する非課税枠が多いのでしょう?
宗教行為とそのために供される土地などの資産は、収益を上げることを目的としていないから課税の対象にできない、というのが一見もっともらしい根拠になっています。
しかし今どき、おみくじを売ったりお経を唱える代価でお布施をもらう行為を、純然たる宗教行為で収益が伴わないものと考えている国民など、いったい何%いるでしょう?
墓地にしてもそうで、遺灰を収納しているというだけで宗教行為の資産と呼べるのでしょうか?

次に「政治上の権力を行使してはいけない」というのなら、公明党が創価学会の操縦下にあるのは、明らかに違憲でしょう。創価学会は公明党を支援しているだけなどという理屈を、創価学会員以外の誰が納得するでしょう?
さらに「何人も宗教上の行為、祝典、儀式、または行事に参加することを強制されない」というなら、例えば企業が、新年の寺社参拝や社葬あるいは神主の祝詞奏上とお祓いを伴う式典に、社員の参加を命令するのは違憲でしょう。
いやはや、日本という国はなんと宗教という権威に蹂躙された国だろうと、怒りさえおぼえます。

宗教法人は行政にとって聖域となっているかのようだし、政治家にとっては大切な支援団体となっていて、どちらも宗教法人を敵に回したくはないことでしょう。
そもそも信仰は個人の心の問題であるはずなのに、個人の信仰を全うするための団体などに公益性を認めるべきではないと考える次第です。
第21条
   1

   2

Article 21.
〔集会、結社及び表現の自由と通信秘密の保護〕
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
1 Freedom of assembly and association as well as speech, press and all other forms of expression are guaranteed. 
2 No censorship shall be maintained, nor shall the secrecy of any means of communication be violated. 
第21条は、その適用についても違反の横行についても、たいへん問題の多い条項と言えるでしょう。

「一切の表現の自由を保障する」とされながら、第12条の「濫用の禁止」によって、国や自治体はたびたび個人や団体の表現行為に制約を与えてきました。
その一方では、ヘイトスピーチや政治家の差別発言あるいは三文週刊誌の個人の尊厳を踏みにじる暴露・中傷記事に対して、「濫用の禁止」を適用するべき具体的な法令の整備や基準の明確化を、国はほとんどやっていないように思われます。

例の在特会などへの対応の甘さに比べ、国旗・国歌に対する忠誠の強要などが示す思想の自由への干渉ぶりは、明らかにダブルスタンダードです。
通信の秘密を侵してはならないとされていながら、かつての共産党幹部自宅への警察署による電話盗聴事件でも、統括責任者である政府は何の責任も取っていません。
ということは国はいまでも同種のことを、特定の警察官僚個人の責任に帰してやらせている可能性があると疑われてもしょうがありません。

前の第20条もそうですが、簡潔な条文は明確な規定のように見えるのですが、他の条文と組み合わせることによって、いくらでも国や自治体などの行政側が都合良く解釈し得るということの、典型的な例です。
今の憲法自体、内容を吟味決定したのは古い時代の為政者たちであったことを忘れてはならないと思います。
第22条

   1

   2

Article 22.
〔居住、移転、職業選択、外国移住及び国籍離脱の自由〕      
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
1 Every person shall have freedom to choose and change his residence and to choose his occupation to the extent that it does not interfere with the public welfare. 
2 Freedom of all persons to move to a foreign country and to divest themselves of their nationality shall be inviolate.
第22条の本文である第1項には第13条に出てきた「公共の福祉に反しない限り」という条件が再び盛り込まれています。

ここで疑問に思うのは、居住・移転・職業選択の中に、公共の福祉に反するような事柄があるのだろうかという点です。
あとに出てくる第29条の財産権を侵すことに相当しますから、例えば、居住が自由だからと言って、他人の所有地や公有地に勝手に住むことなどはできません。選択できる職業の中に、刑罰の対象となるような行為が業として含まれるはずはありません。

例えば、詐欺やスリ、強盗、殺人などを職業とすることは、ただ自称するだけならともかく、行為に及べばたちまち犯罪者となるわけですから、いくら選択の自由と言っても、あえて条件づけるまでもなく、おのずから制限があることは自明の理です。
ではこの条でわざわざ「公共の福祉に反しない限り」と記述してあるのは何のためでしょう?

その答えは、あとに出てくる第29条にあると、ボクは考えます。
第29条では、財産権を保障する一方で、その内容は法律で「公共の福祉に適合する」よう定めると規定し、なおかつ「私有財産は(中略)公共のために用いることができる」と、国や自治体その他の団体が所有者の同意なく買い上げることができることを認めています。

この2ヶ条により、国は公共の名のもとに、いくらでも好きなように国民の権利を取り上げることができるというお墨付きを与えられているわけです。
その実例が、かつての米軍施設やダムや成田空港などの建設用地の強制収用であり、小泉政権下で多くの反対があった有事立法問題の中核たる「武力攻撃事態法」であることは、わざわざ指摘するまでもないことでしょう。

これというのも、国民の自由と権利に対しては「公共の福祉」に反する濫用を禁じているのに、国や自治体の行政権に対しては「基本的人権」を侵しかねない濫用の禁止を、この憲法が明確に規定しないからです。
一見どうでもいいことのように思えるのですが、現在のように国の東西を問わず外国人が、ごく普通の市民として日本国内で仕事をし家族を養い納税もしている時代になると、国民と非日本国籍市民と一時的滞在外国人と旅行者とを、それぞれ区別し、それぞれの固有の権利と義務を明確にする必要があると思いますので、こだわりたくもなるのです。
第23条

Article 23.
〔学問の自由〕
学問の自由は、これを保障する。
 Academic freedom is guaranteed.
ずいぶん短い条文です。句読点を入れても15文字しかありません。憲法の中で最も短い条文かと思ったら、12文字というのが、第5章にありました。
ちなみに法務省の憲法対訳では"Article 23.Academic freedom is guaranteed"となっています。

第3章の他の条文にも見られるのですが「何々は、これを保障する」という言い回しは、日本語としてはずいぶん奇妙なものです。主語述語の用い方が、どう考えてもおかしい。対訳英文のほうを単純に和訳すると「学問の自由は保障される」として良いでしょう。

明治憲法の臣民の権利と義務の章では、その点「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ居住及移転ノ自由ヲ有ス」といった具合に、主語述語が明確です。
これはいったいどう解釈すれば良いのでしょう?

もしかすると、この憲法のかなりの部分は英語で原文が書かれており、それを直訳すると受動態の文章になるものが多く、いかにもアメリカから押し付けられた憲法らしくなってしまうから、それを嫌ったのでしょうか。
それとも「すべて国民は学問の自由を有する(または、保障される)」と書いてしまうと、行政が都合よく解釈するには歴然とした文章になりすぎるからでしょうか? 

いずれにしても、押し付け憲法説信奉者にとっては、かっこうの攻撃材料であるような気がします。
第24条
   1


   2



Article 24.
〔家族関係における個人の尊厳と両性の平等〕
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
1 Marriage shall be based only on the mutual consent of both sexes and it shall be maintained through mutual cooperation with the equal rights of husband and wife as a basis. 
2 With regard to choice of spouse, property rights, inheritance, choice of domicile, divorce and other matters pertaining to marriage and the family, laws shall be enacted from the standpoint of individual dignity and the essential equality of the sexes. 
第24条も極めてまともな条文で、以前でしたらあまり変な解釈を入れる余地がなく、問題なかったと思われます。
ただ最近の、事実婚の増加・夫婦別姓要求・同性婚合法化要求といった社会的条件の変化に対し、いささかこの条文にも引っかかる点が出てきました。

まず「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して」と規定されているにもかかわらず、婚姻後は夫婦いずれかの姓に揃えなければいけないというのは、明らかに違憲です。夫婦別姓は憲法に照らし、その権利を認めるべきです。
法が個人に姓の変更を強要するというのは、どう考えてもおかしいでしょう。「だったら結婚しなければいい」とでも国は考えているのでしょうか。

次に婚姻当事者を「両性」と表記している点です。自民党などの同性婚反対論者は、これを盾に男女の婚姻以外は憲法が認めていないと主張しているようです。
しかし、ここで使われた「両性」という言葉は、男女別々の性の者という厳密な意味であると言えるでしょうか?
この憲法制定当時、結婚とは男女間のものという社会的慣習であったから、婚姻当事者を「両性」と表現しただけのことであって、この条文のどこにも、婚姻当事者は男女に限ると規定していると解釈できる箇所はありません。

ただし両性とある以上、2人で1夫婦、つまり一夫多妻や一妻多夫は認めていないということだけは確かに言えると思います。
第25条

   1

   2


Article 25.
〔生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
1 All people shall have the right to maintain the minimum standards of wholesome and cultured living. 
2 In all spheres of life, the State shall use its endeavors for the promotion and extension of social welfare and security, and of public health. 
第25条は、生活保護などの福祉政策に関して、しばしば行政訴訟が起こるときに、原告側が訴えの根拠とすることで知られています。

しかし「健康」「文化的」「最低限度」というどの言葉についても、それだけでは具体性を求めるのは困難です。
それゆえ、その具体的内容については国の裁量にゆだねられるというのが、大概の裁判の結果(原告の敗訴)であるとボクは記憶しています。

ですから、この条文の第1項については観念を述べたものにすぎないと言えます。
しかし明治憲法では、そもそも臣民の権利義務を規定した第2章には、これに類する国民の生活に関する保障の条文がまったくないのに比べると、はるかに国民の福祉に対して進歩的な条文と言わざるを得ません。

第2項には「国は・・・努めなければならない」と書かれています。つまり具体的な内容はともかく、国の不作為はダメだということです。
これだって観念的にすぎないと思われるかもしれませんが、現憲法には第25条以外に「国は・・・なければならない」という文言は見当たりません。それほどこの条文は、たとえ内容こそ観念的なものであっても、国の義務について明確に述べたものだと考えるべきでしょう。

憲法論議とは一歩離れた私見ですけれど、国民年金と生活保護とは一本化して、生存権保障給付金とするべきだと思います。
もちろん、受給については所得によって段階(高所得者ほど減額)を設ける必要があります。
最低生活の保障という観点で見れば、現在の国民年金の保険料は税に含めるのが当然あるべき姿で、老後により高い給付を受けて楽に暮らしたいという意思のある人は、現在の厚生年金に代えて、公的保障のある年金保険に任意加入すれば良いのです。
任意の保険料を払いたいだけ払えば、その額に応じて老後に年金をもらえるような仕組みにすれば公平です。
つまり民間保険会社の年金保険の元金と配当金を、政府が担保してやればよいので、何も国が年金保険機構のようなものを持つ必要はないはずです。
第26条
   1

   2


Article 26.
〔教育を受ける権利と受けさせる義務〕
すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする。
1 All people shall have the right to receive an equal education correspondent to their ability, as provided by law. 
2 All people shall be obligated to have all boys and girls under their protection receive ordinary education as provided for by law. Such compulsory education shall be free. 
ここでは、教育を受ける義務が国民(個人)にあるとは規定していません。
いわゆる義務教育とは保護者に向けられた言葉であることが分かります。

第1項で言う教育が、義務教育である小中学校教育のみを指している訳ではないことは明らかですが、教育そのものの範疇についてまで「法律の定めるところ」に含まれているのかどうかは判然としません。

しかし第2項で言う普通教育が、具体的には小中学校教育を指しているという現実は、「法律の定めるところ」が普通教育の範囲あるいはカテゴリーにまで及んでいると解釈しないと合理的ではありません。
義務教育は無償であるとしていながら、教科書以外の教材費は保護者が負担しなければならない点なども、同様であると考えられます。

言葉のあやのようですが、不登校児のためのフリースクールは90年代まで、そこに通った子供らに公的な進級・卒業の資格が認められず、現在もほとんどのフリースクールは学校教育法に定められた学校に該当しないという現実は、この第26条にどうしても引っ掛かるものがあると感じます。

ただし、明治憲法にはそもそも国民の教育の権利や義務についての条文がなかったことに比べれば、第26条があること自体がたいへんな進歩であると言えるでしょう。

ちなみに明治憲法の「第2章 臣民権利義務」では、全15ヶ条の中で「法律」という言葉が11回出てくるのに対し、現憲法の第3章では全31ヶ条で「法律」は同じく11回しか出てきません。
このことは、現憲法の保障する国民の権利については、法の縛りが緩やかであると意味するのかもしれません。
第27条

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Article 27.
〔勤労の権利と義務、勤労条件の基準及び児童酷使の禁止〕
1 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。
1 All people shall have the right and the obligation to work.
2 Standards for wages, hours, rest and other working conditions shall be fixed by law.
3 Children shall not be exploited. 
働くことは権利であり義務でもあるというわけですが、この条以外に、義務という言葉を用いて、国民の義務を規定しているのは第30条(納税)と第26条(義務教育)の2か条しかありません。

他に義務を意味する言葉としては「なければならない」というのがありますが、これも国民に対して使われているのは、第12条(自由及び権利の保持義務)と第24条(婚姻)の2か条しかありません。

他には禁止義務の意味として「してはならない」という言葉がありますが、これも第12条(公共福祉の責任)と第20条(宗教団体)と第29条(財産権)と、この第27条(児童の酷使)の4ヶ条しか、国民に対しては使われていません。

つまりこの憲法は、国民に対して「何々せよ」とか「何々してはならぬ」と明確に規定しているのは、9項目ぐらいしかないということになります。(もちろん、その9項目しか国民には義務がないと解釈することができないのは、公共の福祉を守る責任がすべての国民に課せられている以上、自明の理なのですが。)

この辺のことが、保守勢力が「もっと国民の義務を憲法に盛り込むべきだ」と考える原因になっているのかもしれません。
しかし明治憲法でも、国民の義務を明確な条文にしているのは、たったの2ヶ条(兵役と納税)しかなかったことを、保守勢力は分かっているのでしょうか。
明治憲法に比べ、現憲法は国民の自由と権利を広く保障する代わりに、義務についての規定が多くなっているのです。
第28条


Article 28.
〔勤労者の団結権及び団体行動権〕
勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
 The right of workers to organize and to bargain and act collectively is guaranteed.
第27条と第28条とが、労働者の権利を明確に規定しているわけですが、これ以外に第18条〔奴隷的拘束及び苦役の禁止〕と第21条〔集会、結社及び表現の自由と通信秘密の保護〕も、労働者の権利に関わる内容を含むものと考えられます。

第28条によって労働組合の結成と団体交渉その他の組合活動が保障されているわけですが、労働組合が職域内活動以外の政治運動や思想活動を行うことは、第21条によって保障されているはずです。

労働組合の存在理由が、雇用者に対して相対的弱者である労働者が、団結により身分や待遇について交渉することだけであるならば、労働組合は社会的には大した力を持ちえません。
実効的な組合活動を支えるためには、さらに労働組合同士の連帯と、その連帯による政治的影響力の行使が欠かせません。
そのためには、労働組合内の政治意識の向上・維持が必要であるし、労働行政・法令に対する研修も必要であるはずで、当然、組合活動の中には政治・社会思想の追及に関わるものも含まれてきます。

ということは、労働組合が意味のある存在となるためには、第18条の「集会、結社及び表現の自由」が認められた団体でなければなりません。
その意味でこの30年間近く、労働生産力の海外シフトが進められた時代背景がありながら、日本の労働界は自ら労働組合を弱体化させ、労働者の地位を低下させたと言わざるを得ません。
「連合(日本労働組合総連合会)」という全国統一組織の存在感のなさは、まさに目を覆いたくなります。

その結果が、今日のブラック企業の横行であり、これを許している行政は、憲法第18条の遵守を怠っていると思うのです。
第29条
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Article 29.
〔財産権〕
財産権は、これを侵してはならない。
財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。
私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
1 The right to own or to hold property is inviolable.
2 Property rights shall be defined by law, in conformity with the public welfare. 
3 Private property may be taken for public use upon just compensation therefor. 
第22条について書いたときに触れたように、この第29条は国民の権利よりも公共(の福祉)が優先することを明確に規定した条文です。

財産権の中身は国が決めると言ってるわけですから、事実上、個人の財産権など保障していないのも同然です。

これを幅広く適用すれば、現在の中国のように、高速鉄道や高速道路は言うに及ばず、国民全体の福祉に役立つかどうか疑問視される施設を作るときでさえ、そこに住んでいた国民を、まるで邪魔な岩か石ころのように扱う国になりかねません。

しかしその半面、東日本大震災の時に示されたような、広域輸送・移動能力の脆弱性を改善するための高速道路等の整備、あるいは防災性や安全性の向上のための都市環境改良計画の実現が、環境アセスメントや居住権・営業権などを盾にとった住民反対運動もしくは個々の土地譲渡拒否によって、遅々として進まないのも、また現実的な問題です。

観光による地域振興のための歴史的景観の保存や復活に対しては、国から補助金までもらって、地域を挙げて推進する市町村がある一方、大都市では幹線道路一本のわずかな距離の拡幅計画実現に何十年もかかったり、木造住居過密地域で、消防活動もろくにできないような狭隘道路をほとんど改良できていないという現実を、いったいどう考えればいいのでしょう。
(太平洋側の都府県の多くが、いつ再び巨大地震に見舞われるかわからないと言われているにもかかわらず、、、です。)

その意味で、行政側はもちろんですが、国民全体が第29条の適用について深く考えるべきではないかと思えるのです。
第30条


Article 30.
〔納税の義務〕
国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う。
 The people shall be liable to taxation as provided by law. 
とても短いけれど、たいへん重い内容であるのが、この第30条です。

とても短くなったのは、課税というものがあらゆる事物をその対象とし得る要件を、国(や自治体)が確保するためでしょう。
そのためには、「法律の定めるところにより」という大雑把な条件を入れるだけのほうが良いわけです。

このおかげで、国や自治体は、個人や団体から、より税金を取ろうと企図する場合には、法律・条令を改正するか新規に成立させさえすれば良いようになっています。(消費税が良い例です。)

ところで、この条文には国民の義務としか書かれていませんが、外国人にも納税義務があることぐらい、いちいち注釈するまでもないでしょう。

ではなぜ、わざわざ「国民」とし「何人も」としてないのでしょう?
恐らくその理由は、外国人に対する課税については、国際間の相互主義により、税を定めた法の中でいくつかの免除規定を盛り込む必要があるからでしょう。
それでなくとも外国人は、例えば所得への課税について「非永住者以外の居住者」「非永住者(である居住者)」「非居住者」の3区分によって課税内容が異なり、かつその区分は居住や滞在の期間等の事実によって実態的に適用されることになっているので、さらに住民税の課税条件なども加えると、扱いがたいへん面倒くさそうです。

もっとも、別にそこまで深い意味はなく、単に明治憲法の第21条「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ納税ノ義務ヲ有ス」を書き直しただけのことかもしれませんが。

(追記)在留外国人の法的権利や義務については、国によってかなり差があると聞いたことがありますので、先進国などの実情を知らないと、日本の法制度が良いかどうかの判断は、ボクにはできません。
ただ国の制度うんぬんよりも外国人に対する差別意識が、いまだに日本国民の一部に根強く残っていることは、大いに問題だと思っています。
第31条



Article 31.
〔生命及び自由の保障と科刑の制約〕
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。
  No person shall be deprived of life or liberty, nor shall any other criminal penalty be imposed, except according to procedure established by law.
第31条は国民の生命と自由を保障しているかのような見出しを(現行法規総覧=衆議院法制局・参議院法制局共編では)付けられていますが、条文自体は数学で言う「裏」(逆・裏・対偶って習いましたね)を書いてあるのであって、実際には「法律の定める手続きをふまれれば、誰であろうと死刑を含む刑罰を科せられる。」と言っているに過ぎません。
日本国憲法には、各条に見出しなどは本来ついていませんが、法制局が付けたこの条の見出しはホントにいい加減ですね。
第32条


Article 32.
〔裁判を受ける権利〕
何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない。
 No person shall be denied the right of access to the courts. 
裁判を受ける権利について、明治憲法では「第24条日本臣民ハ法律ニ定メタル裁判官ノ裁判ヲ受クルノ権ヲ奪ハルヽコトナシ」と規定しています。

似たような内容に思えますが、「法律に定めた裁判官の裁判」と「裁判所において裁判」という違いが気になるところです。
前者は、例えば軍事裁判(軍法会議)のように、国が認めた司法資格を持たない者が、法律の定めによって裁判官として裁判を行うことを想定しているようです。
一方、後者は現憲法の第76条に「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」と規定されているので、このほうがより確かな裁判を受けられるように思えます。

ただし、ここで言う「裁判所」が、訴訟法に定める具体的な裁判所を意味しないと唱える説もあるので、油断はできません。

ところで第32条は、その性質上「何人」に外国人をも含むと解釈するのが通説になっているようです。
しかし不法滞在外国人と呼ばれる人たちは、司法手続き(警察への引き渡し、送検、裁判など)を経ることなく、入国管理局が身柄を拘束し強制送還することができると、入管法に定められていますので、「何人」には含まれていないということになります。

不法入国や不法滞在以外の犯罪をわざわざ起こせば、処罰のために裁判にかけられるようになっているのは、何とも皮肉です。
第33条



Article 33.
〔逮捕の制約〕
何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となっている犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。
 No person shall be apprehended except upon warrant issued by a competent judicial officer which specifies the offense with which the person is charged, unless he is apprehended, the offense being committed. 
明治憲法では、一般国民の逮捕について「第23条 日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ」としか規定されていません。

それに比べると、現憲法では逮捕される条件がより具体的なので、国が法律の濫用によって不当な罪状をかぶせ、国民をむやみに逮捕することがないようになっています。

ただし「現行犯」はその例外と規定されていることに注意が必要です。
つまり現行犯の逮捕は、警察官等官憲ではない一般人でも(令状など無しで)可能であり、これを「私人逮捕」と言います。
私人逮捕の条件には大まかに言って、現行犯であることと、(軽い犯罪の場合には)犯人の氏名・住所が不明で、かつ逃走のおそれがあることの2つがあるだけなので、痴漢などの疑いをかけられた人は、その場にいた誰にでも逮捕されてしまう可能性があります。

また現行犯とされる条件には、例えば警察官の不審尋問を拒否して立ち去ろうとしたり、デモ行進などで警察官の制止や指示に従わなかったりしたとき、公務執行妨害と見なされたことなども含まれているようです。

だから第33条は、必ずしも国民が不当逮捕されないことを保障しているわけではないと言えます。
第34条






Article 34.
〔抑留及び拘禁の制約〕
何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与えられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。
 No person shall be arrested or detained without being at once informed of the charges against him or without the immediate privilege of counsel; nor shall he be detained without adequate cause; and upon demand of any person such cause must be immediately shown in open court in his presence and the presence of his counsel. 
第34条も「何人も」と記されていますが、第32条と同様に、外国人も含むと解釈できると思われます。

ですが、不法滞在外国人と呼ばれる人たちは、この条についても、やはり適用外となっているようです。

また「直ちに弁護人を依頼する権利が与えられなければ・・・」とありますが、ここで言われる「権利を与える」とは、単に「お前には弁護人を選任する権利がある」と警察側が、被疑者に告げるだけで成立することになっているのを無視できません。
弁護人選任の方法や手続きなどについて、警察側が説明することはまず期待できません。
こうした現状は、弁護士の開設したホームページなどに紹介されていますので、ここでクドクドと述べるまでもないと思います。
第35条
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Article 35.
〔侵入、捜索及び押収の制約〕
何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第33条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行う。
1 The right of all persons to be secure in their homes, papers and effects against entries, searches and seizures shall not be impaired except upon warrant issued for adequate cause and particularly describing the place to be searched and things to be seized, or except as provided by Article 33. 
2 Each search or seizure shall be made upon separate warrant issued by a competent judicial officer.
第35条を最も遵守していないのは、ほかでもない警察であることは、もはや常識と言って良いでしょう。

1986年に発覚した日本共産党幹部宅盗聴事件で警察側がとった一連の対応は、検察庁特捜部さえ屈服させるほどの、強硬かつ不法で公安警察の恐ろしさを露わにするものでした。
第35条の第1項第2項ともに、捜査・捜索の令状主義を規定しているにもかかわらず、令状なしで秘密裡にこれを行うことが、警察では当然とされていたわけです。
もちろん第21条(通信の秘密の不可侵)にも違反していたことは言うまでもありません。

警察側の当時の強弁は「警察であることを隠して行ったことは、公務員の職権濫用には当たらない」というものでした。
要するに秘密裡に行ったことは、令状なしであっても、全て合法であると言っていたのです。
(その後、同様の行為を行った場合「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」30条1項に違反するとされるようになったため、現在では、ことが露見した場合は訴追されるようにはなりましたが。)

しかし、これほど恐ろしい考え方が民主主義国家の警察に許されるものでしょうか。
それにもかかわらず、昨今の新聞などに報道されているとおり、今や警察は、前述の法的制約を再びゆるめさせようとしているのです。
閑話休題 憲法全文について改めて一か条ずつ見直し、私見を加えていますが、まだやっと3分の1に到達したに過ぎないのに、けっこう疲れてきました。

憲法というものの性格上、立場によって条文の解釈に幅が出てくること自体は避けられないものだとは思います。
ですから、行政や司直、あるいは政治家によって、恣意的に偏った解釈がされないよう、一般国民は(特に報道機関は)憲法の中身について、よく知らなければならないと、ここまで書いてきてあらためて思い知りました。

解釈次第で黒にも白にもなるということは、各条文の文言のみにこだわるからでしょう。最も大切なのは、憲法全体を貫く精神を遵守する気があるかどうかだと思うのです。

憲法というものが歴史的に成立してきた要因の大半は、市民革命にあると言えるでしょう。
市民革命によって、絶対的な王権を廃し、階級や身分に依る支配・従属関係を廃し、国を治める権限を国民が握るようにした、その結実が近代憲法であるはずです。

ひるがえって日本を顧みれば、憲法は常に上から与えられたものでしかありません。
条文の文言に依ることなく、その精神こそ遵守するべきものであると、国側も国民も十分に認識していないのは、そこに理由があるのかもしれませんが、極めて重大な問題ではないかとボクは言わざるを得ません。

では日本国憲法を貫く精神とは、いったいどこにあるのでしょう?
その答えは憲法前文にあると、ボクは思います。個人的には、多少物足りない点はありますが、この前文そのものを否定するものは、現在の日本国そのものを否定する者だと断じても差し支えないと思います。
第36条


Article 36.
〔拷問及び残虐な刑罰の禁止〕
公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
 The infliction of torture by any public officer and cruel punishments are absolutely forbidden. 
驚いたことに、この第36条以外に「絶対に」という言葉は現憲法の中では使われていません。

それほど強く言わなければならないほど、現憲法制定以前は、官憲や軍その他によって、拷問などが公然と行われていたことの表れがこの条文でしょう。

ここで言う残虐な刑罰は、死刑の執行方法・懲役囚に課する労役・服役中の生活待遇等を対象としているであろうと思われます。
戦前の思想犯の取り調べと服役の過酷さは、しばしば見聞するところです。

注意すべき点は、第36条は「国民」や「何人」の権利や自由についての規定ではなく、公務員の禁止行為の規定であるということです。
しかも、第36条では公務員の行為の対象に全く触れておらず、日本人であろうとなかろうと、たとえ(有りえないにしても)戦時下の敵国捕虜に対してであろうと、拷問等が禁じられているものと解釈できます。

さらに付け加えれば、この条以外に現憲法で公務員の義務を明確に定めているのは、第99条「公務員の憲法尊重擁護の義務」しかありません。

これらを見ても、第36条がどれほど重要な義務を公務員に課しているかが分かります。
だが、はたして今日、警察・検察その他の公務員が、これを守っているのでしょうか?
第37条
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Article 37.
〔刑事被告人の権利〕
すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与えられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。
1 In all criminal cases the accused shall enjoy the right to a speedy and public trial by an impartial tribunal. 
2 He shall be permitted full opportunity to examine all witnesses, and he shall have the right of compulsory process for obtaining witnesses on his behalf at public expense. 
3 At all times the accused shall have the assistance of competent counsel who shall, if the accused is unable to secure the same by his own efforts, be assigned to his use by the State.
第33条から36条までが、逮捕から裁判に至るまでの間の人々の権利とその保護について規定しているのに対し、第37条以下においては、刑事被告人とされた後の権利について定めています。

憲法で、ここまで具体的かつ詳細に規定しなければならないものなのかと、感じる人も世の中にはいるかもしれません。
しかし明治以降の日本の歴史をたどると、改めてこれらの条文が必要であると、誰しも認識することでしょう。

明治憲法には、刑事被告人の権利等については、わずかに第23条「臣民は法律に依らない逮捕監禁審問処罰を受けない」第24条「臣民は法律に定めた裁判官の裁判を受ける権利がある」という2カ条しかありません。
しかもこれらでさえ、そのあとに第31条「戦時又は国家事変の場合に於ける、天皇大権の施行の優先」、第32条「軍人に対しては陸海軍の法令又は紀律が優越」という条項があるので、完全に保障された権利とは言えないのです。

現憲法の第31条から第40条まで、10カ条も逮捕・裁判についての規定となっているのは、いかに明治憲法治下において不当不法な行為が公権力によって行われていたかを示すものと、改めて強調しておきたいと思います。

また今日、自国民であろうとなかろうと、国際法も無視して超法規的に身柄拘禁・移送・勾留する行為が、テロ対策や内乱収拾を大義名分として、米国その他の国によって行われている事実は、日本国憲法にこのような規定を設けることの必然性を裏付けるものだともいえるでしょう。

明治憲法下で進められた国民統制の法制化でも、当時の国民は、まさか一般人も簡単に思想犯に仕立てられるような恐ろしい時代を招くものとは、気づいていなかったようですね。
第38条
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Article 38.
〔自白強要の禁止と自白の証拠能力の限界〕
何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
1 No person shall be compelled to testify against himself. 
2 Confession made under compulsion, torture or threat, or after prolonged arrest or detention shall not be admitted in evidence.
3 No person shall be convicted or punished in cases where the only proof against him is his own confession. 
第38条は、37条についての私見とまったく同じことが言えますので、改めて書き加えるほどのこともないと思いますが、今日、新聞等で見聞する限りでは、被疑者取調べ・勾留が、これに違反せずに行われているかどうかの疑いに言及せずにはいられません。

警察は逮捕後48時間以内に被疑者の身柄を検察官に送致しなければならず(刑事訴訟法第203条)、また検察官は24時間以内に取調べが完了できない場合、あるいは証拠隠滅又は逃亡の恐れがあるとした場合、裁判官に当日を含め10日間の「勾留請求」をし、勾留している間に起訴・不起訴を決定しなければなりません。(刑事訴訟法204〜208条)
しかし例外として、検察官は最長10日間の「勾留延長」を申請することができます。(刑事訴訟法208条2項前段)
つまり勾留期間は最長20日間であり、それを越えれば検察は被疑者を「処分保留」として釈放しなければなりません。
しかしそれで、被疑者が無罪放免になるわけではなく、「勾留延長」は10日間を超えない日数であれば、申請する回数に制限が設けられていないので、検察官は必要とあれば、延々と勾留延長申請を繰り返し、裁判官は唯々諾々としてそれを認めるというのが現状です。また重大犯罪や複雑な犯罪では警察による「再逮捕」という手口も用いられています。

というわけで、こうした手続きを重ねるなどの脅しにより、被疑者に「自白」を強要したと言われる事件が過去にはありましたし、最近では辺野古移設問題を巡って、反対運動家を無制限に勾留し続けるという事態も起きています。

ただ、そうした報道があるからと言って、よく喧伝されている冤罪事件が、すべて憲法各条を警察・検察側が遵守していない結果によるものであると、決めつけることはできません。
個人的には、冤罪とされて再審請求が認められ保釈された例や再審無罪判決が下りた例の中に、たまに疑わしいもの(弁護人に不審)を感じることがあるからです。
(追記) テレビや新聞の犯罪事件報道の中で、しばしば「勾留期限」や「再逮捕」あるいは「身柄送致」といった言葉が使われていた時に、もう少しその意味を知っておくべきだったと、改めて思いなおしました。
また、警察での勾留期間は48時間しかなく、実質的な被疑者取調べは検察官が行うということも、今回調べて初めて知りました。
刑事ドラマにはそういう意味でも嘘が多いですね。
第39条




Article 39.
〔遡及処罰、二重処罰等の禁止〕
何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない。
 No person shall be held criminally liable for an act which was lawful at the time it was committed, or of which he has been acquitted, nor shall he be placed in double jeopardy. 
第39条は微妙な内容ですね。

有罪が確定し刑に服務した人でも、再審により無罪とされる権利がある半面、無罪が確定した行為については、再度裁判にかけられることはないというのは、一見これでいいのだろうかと思わせます。

これは刑事被告人が有罪であると立証することの重要性を、検察官・裁判官に問う内容ではないかと解釈して良いのではないかと思います。

刑事被告人と見なすだけの十分の証拠と証言を、検察官が裁判で開示できることと、それらが十分かつ偽りがないことを裁判官が確証をもって断定することができなければ、第39条の適用される事態が起こり得るわけですから。

また冒頭の文言では、「適法行為」は刑事上の責任を問われることはないとしていますが、民事上の責任については言及していないことにも注意が必要です。
たとえ刑事責任は免れるとして、例えば企業の行為や製造物についての責任が法的に問われることは、三菱自動車やカネボウ化粧品等の事例に見られるとおり当然のことです。
あまり
楽しくは
ない余談
憲法の第38条第39条について書いていて、「勾留」と「拘留」とでは意味がまったく違うことに気が付きました。
細かいことのようですが、ことが法律に関するものなので、その区別について言及しておきたいと思います。

用語の詳細ですが、「勾留」には「被疑者の勾留」と「被告人の勾留」とがあります。

「被疑者の勾留」は捜査を進める上で身柄の拘束が必要な場合に、検察官の請求に基づいて裁判官がその旨の令状(勾留状)を発付して行います。
これは昨日も書きましたが、期間が10日間以内で延長も10日までしか認められません。

それに対し「被告人の勾留」は、裁判を進めるために、被告人の身柄の拘束が必要な場合に、検察官は勾留を請求できませんが、裁判所の職権により、何らの手続きを経ることなく、起訴の日から被告人の勾留が開始されます。
勾留期間は2か月で、特に証拠を隠滅するおそれがあるなど必要性が認められる限り、裁判所は1か月ずつ更新します。
ただし、その必要がないと裁判所が判断すれば、起訴後も被告人は勾留されません。
(警察が被疑者を署内の留置所に拘束することは「逮捕」の中に含まれ、「勾留」には入りません。)

音が同じなので混同しやすい「拘留」は、「自由刑」の中で最も軽いとされている刑罰です。
刑事裁判で有罪判決を下された場合の刑罰で、被告人の自由を奪うのが「自由刑」です。自由刑は刑期の長さや労役義務が発生するかしないかといった違いで、「懲役」「禁錮」「拘留」に分けられます。

拘留の具体的な刑罰内容は1日以上、30日未満の期間、刑事施設に身柄を拘束される刑となります。
(刑事施設というのは、法務省が管轄する「刑務所」や「拘置所」あるいは警察が管理する「留置場」のことです。)
軽い刑罰とはいえ、拘留は禁錮や懲役と違い「執行猶予」がなく、判決言い渡し、即実刑となります。
とはいえ、事件捜査の段階で逮捕・勾留されていれば、その身柄拘束期間の一部は拘留刑の日数から引かれますので、実質的には拘束期間はかなり短いものになりそうです。
第40条



Article 40.
〔刑事補償〕
何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。
 Any person, in case he is acquitted after he has been arrested or detained, may sue the State for redress as provided by law. 
第40条も、憲法でこんな細かいことまで規定するものなのかと感じさせるような条文です。

ここで言う法律に当たる「刑事補償法」を、以前紹介した総務省のe-Govで見て要約してみました。

補償の内容については第四条で、懲役・禁固を含む抑留又は拘禁の日数に応じて、1日1000円以上12,500円以下の割合による額の補償金を交付することになっています。

ずいぶん安いと思うのですが、裁判所が拘束の種類・期間の長短・受けた財産上の損失・得るはずだった利益の喪失・精神上の苦痛・身体上の損傷・警察検察裁判の各機関の故意過失の有無その他一切の事情を考慮して、やっとこの額です。

冤罪で死刑執行された場合の補償は、3,000万円以内で裁判所の認める額の補償金が相続人に交付され、本人の死亡によって生じた財産上の損失額が証明された場合には、その損失額が加算されます。 

すでに徴収した罰金又は科料については、徴収の翌日から補償決定日までの期間に応じ年五分の割で加算した額が、補償金として交付されます。
没収物については、現物がまだ処分されていないときは返付し、すでに処分されているときは、その物の時価に等しい額の補償金が交付されます。

とまあこんな具合で、冤罪事件で再審無罪になった人が、補償額に不服を述べるのも、無理はないと思う次第です。
もちろん本人が請求前に死亡している場合は、その相続人に請求する権利があります。
第4章 国会 CHAPTER IV. THE DIET
第41条


Article 41.
〔国会の地位〕
国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。
 The Diet shall be the highest organ of state power, and shall be the sole law-making organ of the State. 
ようやく国会の章まで来ました。

ところで国権とは何でしょう?
辞書で引くと、「国家の権力」「国家の統治権」などとあります。

第9条にも「国権の発動たる戦争」などという文言がありますが、不思議なことに現憲法には、この2か条しか国権という言葉は使われていません。
でもボクのような凡人には、国の統治権は政府が握っており、国会がその最高機関であるようには思えません。

たしかに現憲法では、行政権を持つ内閣の首長たる総理大臣は、国会議員の中から国会の議決によって選ばれることになっています。
ですから一見、政府(内閣)より国会のほうが、国の統治について優位に立っているように思えます。
(日本は議院内閣制をとっているというのが一般的な解釈です。)

ですが内閣(総理大臣)には事実上無制限に国会を解散する権限が与えられていますので、国会が選ぶとはいえ、成立後は内閣(総理大臣)の方が優位に立っているように思えます。

ところが奇妙なことに、国会(衆議院)の「解散権」が内閣(総理大臣)にあるとは、現憲法には書かれていません。
第7条(天皇の国事行為)で、天皇は内閣の助言と承認によって、衆議院を解散すると規定されているに過ぎません。
つまり内閣総理大臣は間接的に解散権を行使できるということになります。
これはいったいどう理解すれば良いのでしょう?

明治憲法では国の統治権は天皇にあると、極めて明確に定めていますので、その名残りが見えると解釈すれば良いのでしょうか。
つまり、明治憲法下では国の権力はすべて天皇が持ち、内閣・国会などの国家機関は、実務上の行使機関にすぎないとなっていたのに対し、現憲法では天皇の大権を分解し、国民によって議員を直接選ばれた国会に国権の最高機関という立場を与え、実務上は内閣がその行使権を掌握し、形式上は天皇がその行使を手続するという、ややこしい関係ではないかと思う次第です。
第42条


Article 42.
〔二院制〕
国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。
 The Diet shall consist of two Houses, namely the House of Representatives and the House of Councillors. 
この条は単に国会が二院制であると規定したに過ぎません。
このあとの条文のどれを見ても、日本の国会が二院制でなければならない理由をうかがわせるような文言は見当たりません。
(もちろん現在の小選挙区制では、一時の勢いで国政が左右されたり、内閣の独裁を招きかねないから、実際上は二院制であって良いのですが。)

現在の憲法が、明治憲法を改訂したものであると言えるのは、この辺に依るでしょう。
勅任制議員の貴族院が、普通選挙選出議員の参議院に変わっただけのようですが、明治憲法では両院の優劣を規定してなかったのに対し、現憲法では明確に衆議院の優位性を定めている点が、議員構成の違い以上に大きな違いと言えるでしょう。

だが、かつて貴族院があったという以外に、現憲法で二院制を定めた積極的な理由は、まったく見い出しがたいと、個人的には思います。
要するに、貴族制度が廃止されても、旧華族・貴族が知名度や地元などの支えで参議院選挙で当選し、国会議員たる身分に留まれる可能性を残すことにより、貴族院をなだめすかし、改正憲法の国会議決を得たかったのだろうと想像します。
(特権階級にある人々が喜んで、その身分を失うことに賛成するはずがないだろうと思いますので。)

付け加えますと、国会の制度改革を行うならば、議員定数を削減するよりも、小選挙区と比例代表制の適切な議員配分の下で、参議院を廃止する方が妥当であるというのが私見です。
第43条
   1

   2
Article 43.
〔両議院の組織〕
 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。
1 Both Houses shall consist of elected members, representative of all the people. 
2 The number of the members of each House shall be fixed by law. 
まあこの条は、別に内容的には何も言いようがないものですが、現憲法全般に言えるおかしな言い回しの典型的な例ですね。
本文たる第1項と比較するために、明治憲法の第35条を引用すると「衆議院ハ選挙法ノ定ムル所ニ依リ公選セラレタル議員ヲ以テ組織ス」とあり、このほうが日本語的には分かりやすいように思えます。
第44条




Article 44.
〔議員及び選挙人の資格〕
両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない。
 The qualifications of members of both Houses and their electors shall be fixed by law. However, there shall be no discrimination because of race, creed, sex, social status, family origin, education, property or income. 
これも、国会が身分制議会ではないことと、収入等の制限のない普通選挙によって議員を選出するという、極めて事務的な内容を規定しているに過ぎません。

しかし差別禁止条件の中に「性別」が加えられたことが、画期的なことであったことは、改めて言うまでもないでしょう。
いわゆる普通選挙は、日本では1925年(大正14年)加藤高明内閣によって制定された(通称)普通選挙法によって、明治時代以来続いていた所得制限等が撤廃されて、実現していたわけですが、女性の選挙権・被選挙権は含まれていなかったので、これを「普通選挙」の実現と呼ぶのは、女性差別以外の何物でもないでしょう。

なお、日本の女性の選挙権・被選挙権は、現憲法の成立を待たず、第2次大戦終結直後の10月に幣原内閣によって閣議決定され、同年12月の改正衆議院議員選挙法公布により、まず国政参加が認められました。
翌1946年4月の戦後初の衆議院選挙で、女性の国政参加権は初めて行使されました。
その一方、地方参政権は1946年9月地方制度改正により、国政に遅れて認められました。

第2次大戦後まで、女性の参政権自体は世界的にも大半の主要国で認められていませんでしたので、その意味では、当時の日本が特に女性を差別する国であったとまで言うことはできないかもしれません。

それにしても、普通選挙権、女性参政権が実現するまでの道のりを考えたら、棄権するなんて、なんともったいないと思うけど、むざむざその権利を放棄する人が多いのは、情けない限りです!
投票しに行かない権利と政治に参加しない権利と、どちらも全ての国民にあるとは思いますが、何とも無気力な権利ですね。

しかしボクがもっとも腹が立つのは、社会や政治について甘い認識で候補者(党)を選んで投票する人たちが多すぎることです。

これというのも、投票権を持つ人のうち、最も多いと思われる給与所得者の多くが源泉徴収制により、ろくに納税の意識を持たないことが悪いのです。
「トーゴーサン」という語のあるように、税務署の所得の捕捉率は、給与所得者約10割、自営業者約5割、農林水産業者約3割とまで言われているのに、政治に関心の高いのは、その逆の順であるのが、日本の選挙の最大の問題点だと、ボクは思っています。
源泉徴収制を廃止したら、日本の選挙の投票率は格段に向上することに疑いはないと思います。
第45条


Article 45.
〔衆議院議員の任期〕
衆議院議員の任期は、4年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。
 The term of office of members of the House of Representatives shall be four years. However, the term shall be terminated before the full term is up in case the House of Representatives is dissolved. 
この2か条も改めて言及するまでもないような内容です。

ただし、現憲法の中で両院の違いについて規定しているのは、この2か条と、衆議院の議決優先権を定めた第59〜61条及び第67条と、内閣を総辞職させられるのは衆議院のみであることを定めた第69・70条しかないことには注意したいと思います。

なぜなら、あとでこれらの条文を触れてゆけば分かりますが、現憲法の中には、両院の性格の違いあるいは国会を二院制とした理由について、具体的に説明した箇所がまったくないからです。

このことをもってしても、参議院が単に貴族制度廃止と連動して貴族院から変わったものにすぎないと言えるでしょう。

もちろん、現在の参議院にはそれなりの存在意義があることは事実として認められますが、国政の制度内容が合理的であれば、一院制であっても問題はないというのが、ボクの私見です。
第46条


Article 46.
〔参議院議員の任期〕
参議院議員の任期は、6年とし、3年ごとに議員の半数を改選する。
 The term of office of members of the House of Councillors shall be six years, and election for half the members shall take place every three years.
第47条


Article 47.
〔議員の選挙〕
選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。
 Electoral districts, method of voting and other matters pertaining to the method of election of members of both Houses shall be fixed by law. 
第47条は、国民にとってはけっこうおっかない内容です。

選挙についてはすべて法律で決めることにしてあるわけですから、国会の多数派がその気になれば、選挙区割りだろうと、投票人登録方法だろうと、投票の仕方や開票などの運営だろうと何だろうと、自分らの有利なように変えられます。

かつての中選挙区制と参議院全国区制を、小選挙区・比例代表併用制に改定した事情など、選挙の公正化を図るためでも何でもありませんでした。
また選挙区割の違憲状態判決がたびたび出ているにもかかわらず、一向に根本的是正が行われないことも、この第47条のせいであると言っても良いでしょう。
それに加えて、法の不備のために、本来は投票資格を有するはずの国民が投票できないという例も現にありました。(在外日本人の国政投票権など。)

20世紀までは国会多数派たる自民党の中に、良識も思想も異なる派閥が争っていましたので、選挙法などが極端に(!)あくどく改定されることはなかったように思いますが、21世紀に入ってからは全く油断でき
ない状態になりました。

第48条については、あまりにも当たり前のことを規定しており、個別に記述する必要もないと思いますので、併記しておくにとどめました。
第48条

Article 48.
〔両議院議員相互兼職の禁止〕
何人も、同時に両議院の議員たることはできない。
 No person shall be permitted to be a member of both Houses simultaneously. 
第49条


Article 49.
〔議員の歳費〕
両議院の議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当額の歳費を受ける。
 Members of both Houses shall receive appropriate annual payment from the national treasury in accordance with law. 
第49条以下の3か条は国会議員の特権を規定していますが、その中で最もいい加減な内容であるのがこれです。

例によって「法律の定めるところにより」としてあるので、その内容がいわゆる「お手盛り」になるのは当然のことです。

ここで「歳費」という言葉がくせ者です。
国会議員も特別職の国家公務員ですが、国会議員以外の公務員の場合は給費されるものは「給与」であり、地方議員の給与は「議員報酬」と呼ばれ、「歳費」は国会議員についてしか用いられません。

歳費の内容は国会法歳費法(略称)と歳費法に基づく規定によって具体的に定められることになっています。
しかしそれは、旅費(公務により派遣された場合)・文書通信交通滞在費(月額100万円、非課税)・JR特殊乗車券、国内航空会社航空券の支給・期末手当(ボーナス)をも含む内容となっており、一般的に言う給与とは全く別の概念のものです。

この金額が、世界的に最高水準である上、月額100万円もの文書通信交通滞在費は公的費用であるにも拘らず、その使途報告が義務付けられていないのですから、いかに日本の国会議員の特権がデタラメなものかが分かろうというものです。

それでも足らずに「政党交付金(政党助成金)」まで国家歳入からむしり取ろうというのですから、その図々しさには怒りを通り越して呆れるほかありません。

国の最高機関がこれでは、地方自治体の不祥事が毎年のように明るみに出るのは、全く当然のことでしかないでしょう。
第50条




Article 50.
〔議員の不逮捕特権〕
両議院の議員は、法律の定める場合を除いては、国会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならない。
 Except in cases provided by law, members of both Houses shall be exempt from apprehension while the Diet is in session, and any members apprehended before the opening of the session shall be freed during the term of the session upon demand of the House.
国会議員であれば、犯罪者であっても逮捕されないというのは、ずいぶんと不条理なことのように思えます。

しかし本来は、特定の権力が恣意的に嫌疑をかけたり司法機関を動かすなどして、議員活動あるいは議会の運営を妨げることの無いようにすることが、第50条の趣旨であり、単に特権的身分を国会議員に与えるものではありません。

問題はこの特権を悪用する議員が、ときどき現れることにあります。
実際に不逮捕特権を行使した例を検索してみましたが、どういうわけかそのような実例を紹介あるいは一表にしたものが、ネット上では見つかりませんでした。(?)
ただ、後で触れる「逮捕許諾請求」の事例のみが見つかり、1948年以降22件の請求があったことだけが分かりました。
つまり逮捕を免れていた例が22件あったということでしょう。

国会議員であっても逮捕される場合を改めて箇条書きにすると、
1)国会会期外である場合(憲法第50条)
2)院外で現行犯逮捕された場合(国会法第33条 ※院内の現行犯罪は議員警察権で処置)
3)司法官憲が所属議院に逮捕許諾請求をし、議院において逮捕許諾決議案が可決された場合(国会法第34条)
となっており、この特権が無条件ではないことは明確です。

なおこの条で言う「逮捕」とは、逮捕・勾引・勾留のほか行政上の措置による身柄の拘束をも含みますが、身体的拘束を伴わない訴追は禁じられていませんので、裁判にかけられることはありますし、当然ながら確定判決により身体を拘束される刑罰を執行されることもあります。

また会期前に逮捕された国会議員でも、議院本会議で釈放要求が決議されれば、会期中は釈放されると規定されていますが、現憲法の下でその実例はないようです。
第51条


Article 51.
〔議員の発言表決の無答責〕
両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問われない。
 Members of both Houses shall not be held liable outside the House for speeches, debates or votes cast inside the House. 
第51条は、議会制民主主義を守るためには、当然の規定です。

国会で政府を弾劾したからといって、やれ侮辱罪だの何だのと国会議員が訴追されていたら、たまったものではありません。
あるいは、たまたま質問や発言した内容に事実に相違するものが含まれていたからといって、国会以外の場で虚位発言としてとがめられていたのでは、正確を期するあまり、発言内容を役人や専門家に頼らざるを得なくなり、国民の代表としての務めが果たせなくなるでしょう。

ただし「院外で」とあるように、国会内では当然責任を問われます。

実際そのために、議場で陳謝を迫られたり、懲罰動議を出されたりした例がありました。

まあ、そんなわけですから、院外で責任を問われないとはいえ、あまりに品位を欠いたり過激すぎたり大袈裟すぎたり風説に基づいたりという発言をするのは、控えるのが当然でしょう。
でもそれ以上に控えてもらいたいのは、国会外の集会その他で国会議員が、虚位・差別的・侮蔑的・憲法無視的発言をすることですね。
第52条

Article 52.
〔常会〕
国会の常会は、毎年1回これを召集する。
 An ordinary session of the Diet shall be convoked once per year. 
「通常国会」と呼ばれているものがこれです。

この条の非常に奇妙な点は、ただ年1回とだけ書かれ、召集期日と会期について全く触れず、他の条文で頻繁に使われる「法律の定め」云々がないことです。
「国会法」でも召集日についての定めはありませんが、国会の最重要議案である年度国家予算案と関連法案を、毎会計年度終了までに議決する必要があることから、1月中には召集されることが常例になっています。

また「国会法」で、会期は150日(休日・休会をも含む)、会期延長は1回だけ等々を規定されていますので、現実的には憲法に具体的な定めがなくとも、国会の開会閉会だけはさほど滞りなく行われています。

しかし、国会は国権の最高機関にして唯一の立法機関であるとされながら、国会を開くのは年に1回という内容だけの条文とは、どう考えても不可解で、いったいどのように解釈すれば良いのでしょう。

ここで、また明治憲法の呪縛の影を認めなければならないように思えます。
明治憲法では、帝国議会は「毎年召集」と「会期は3か月」という条文があるものの、会期延長や臨時招集は勅命によると規定してあるだけで、他の条文にはよく見られる「法律ノ定ムル所ニ従ヒ」といった文言はありません。
勅命すなわち枢密顧問に操られた天皇の命令で行われることについて「法律に定める」としては具合が悪い、つまり天皇の大権は法律を超えるものであるとしておきたいから、このようになっていたものと推察されます。

なぜ呪縛などと言うかですが、現憲法第7条で、国会召集は天皇の国事行為であると定めてありますが、内閣の「助言と承認」という名目の指図によって天皇が招集しなければ、国会は自律的に召集・開会ができないからです。
つまり内閣がその気になれば、国会は召集されず、会計年度末になっても予算案を議決されることもなく、従って予算空白という事態が生まれます。
実際にそのような例は日数こそわずかですが、過去に何度もあるようです。

第52条はあまりにも簡単な条文ですが、その意味するところは、主権在民の民主主義国家にはあり得ない、実に恐ろしい内容を含んでいると言わねばなりません。
第53条




Article 53.
〔臨時会〕
内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。
 The Cabinet may determine to convoke extraordinary sessions of the Diet. When a quarter or more of the total members of either House makes the demand, the Cabinet must determine on such convocation. 
第53条は、前条と違い議院も内閣も、臨時の国会召集ができるような内容になっています。

いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求で、召集ができるというのなら、前条の私見とは違うじゃないかと思われるかもしれませんが、たとえ召集はできても、臨時会の会期は両院の議決によって定めることになっていることに注意が必要です。
少数派政党の議員の要求により、国会が召集され議案が提出されたとしても、議員の過半数を占める政権与党が、議案審議ができないほど短い会期を議決するか、提出議案を直ちに採決に移して否決してしまえば、議員側が召集要求できると言っても、事実上なんの効力もありません。

なお、国会法では、内閣の決定による召集のほかに、衆議院議員の任期満了による総選挙又は参議院議員の通常選挙から30日以内に開かなければならないと定めています。
またこれとは別に、衆議院の解散による総選挙については、次の第54条に「特別会」の規定があります。
第54条
   1


   2


   3


Article 54.
〔総選挙、特別会及び緊急集会〕
衆議院が解散されたときは、解散の日から40日以内に、衆議院議員の総選挙を行い、その選挙の日から30日以内に、国会を召集しなければならない。
衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。
前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであって、次の国会開会の後10日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失う。
1 When the House of Representatives is dissolved, there must be a general election of members of the House of Representatives within forty (40) days from the date of dissolution, and the Diet must be convoked within thirty (30) days from the date of the election. 
2 When the House of Representatives is dissolved, the House of Councillors is closed at the same time. However, the Cabinet may in time of national emergency convoke the House of Councillors in emergency session.
3 Measures taken at such session as mentioned in the proviso of the preceding paragraph shall be provisional and shall become null and void unless agreed to by the House of Representatives within a period of ten (10) days after the opening of the next session of the Diet.
一般には「特別国会」と呼ばれる特別会について定めた条文ですが、次の通常国会を待たず、総選挙後30日以内に召集するというのはなぜでしょう。

衆議院の解散権は事実上内閣が握っているという点では、内閣は衆議院にに優越しているようですが、その内閣を組織できる総理大臣を指名できるのは、国会両院であり、中でも衆議院が優先的な指名権を持っています。
その衆議院が内閣から一方的に解散させられたままでは、内閣と国会の国権上のバランスが欠ける上、総選挙により衆議院が新しくなった以上、総理大臣は改めて衆議院から信任される必要があります。

そこで第70条によって総選挙後の国会において内閣は総辞職すべきものとされています。
総理大臣が指名されていない状態は、国政上の重大な支障をきたすから、総選挙後ただちに特別に国会を召集する必要があるというわけです。

2項以下は日本の国会が二院制を採用し、かつ衆議院が参議院に対して優越するとされている以上、当然のことを明確にしています。
第55条



Article 55.
〔資格争訟〕
両議院は、各々その議員の資格に関する争訟を裁判する。但し、議員の議席を失わせるには、出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする。
 Each House shall judge disputes related to qualifications of its members. However, in order to deny a seat to any member, it is necessary to pass a resolution by a majority of two-thirds or more of the members present. 
「争訟」というあまりなじみのない言葉が出てくるのですが、辞書を引くと「訴訟を起こして争うこと。また、その事件。現在では、法律関係の存在や形成に関する当事者間の争い。また、これを公の機関が裁断・解決する手続き。訴訟より広い意味に使用。」とあります。

ここで該当議員が問われるのは、議員就任後に@被選挙権を失ったか否か(公職選挙法第10・11条)A兼職の規定に違反したか否か(憲法第48条、国会法第39条・第108条・第109条)です。
議員になる前にその被選資格を失っていたか否かは、国会外(選挙管理委員会又は裁判所)が審査することになっているようです。

各議院による資格争訟の裁判は終審であり、欠格とされた議員が、さらに裁判で争うことはできません。
ただ、実際には選挙の際に予め資格審査が行われるため、資格がない者が誤って当選することはほとんどなく、現憲法下で両議院において資格争訟の裁判が行われたことは一度もないそうです。

またこのあとの第58条に定める「除名」は院内の秩序を乱した議員に対する懲罰の一種であり、第55条の「議員の資格を失はせる」とは明確に区別されるものです。
(注1)公職選挙法の関連条文 第10条(被選挙権)
日本国民は、左の各号の区分に従い、それぞれ当該議員又は長の被選挙権を有する。
1 衆議院議員については年齢満二十五年以上の者
2 参議院議員については年齢満三十年以上の者
(以下省略)
第11条(選挙権及び被選挙権を有しない者)
第1項 次に掲げる者は、選挙権及び被選挙権を有しない。
1 削除
2 禁錮以上の刑に処せられその執行を終わるまでの者
3 禁錮以上の刑に処せられその執行を受けることがなくなるまでの者(刑の執行猶予中の者を除く。) 
4 公職にある間に犯した刑法 (明治40年法律第45号)第197条 から第197条の4 までの罪又は公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律 (平成12年法律第130号)第1条 の罪により刑に処せられ、その執行を終わり若しくはその執行の免除を受けた者でその執行を終わり若しくはその執行の免除を受けた日から5年を経過しないもの又はその刑の執行猶予中の者
5 法律で定めるところにより行われる選挙、投票及び国民審査に関する犯罪により禁錮以上の刑に処せられその刑の執行猶予中の者
第2項 この法律の定める選挙に関する犯罪に因り選挙権及び被選挙権を有しない者については、第252条の定めるところによる。
(注2)国会法の関連条文 第39条
議員は、内閣総理大臣その他の国務大臣、内閣官房副長官、内閣総理大臣補佐官、副大臣、大臣政務官、大臣補佐官及び別に法律で定めた場合を除いては、その任期中国又は地方公共団体の公務員と兼
ねることができない。ただし、両議院一致の議決に基づき、その任期中内閣行政各部における各種の委員、顧問、参与その他これらに準ずる職に就く場合は、この限りでない。
第108条
各議院の議員が、他の議院の議員となつたときは、退職者となる。
第109条
各議院の議員が、法律に定めた被選の資格を失つたときは、退職者となる。
第56条
   1

   2


Article 56.
〔議事の定足数と過半数議決〕
両議院は、各々その総議員の3分の1以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。
両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。
1 Business cannot be transacted in either House unless one-third or more of total membership is present. 
2 All matters shall be decided, in each House, by a majority of those present, except as elsewhere provided in the Constitution, and in case of a tie, the presiding officer shall decide the issue. 
もしこの定足数の規定がなければ、日本の国会の歴史はもっと政府(与党)の思うがままのものになっていたでしょう。

現状では国会内の少数派野党が多数派与党に抵抗する最後の手段は、欠席により議事不成立とする以外に残されていません。

また、この野党の抵抗手段に対抗する与党のやり口の典型が、審議継続と思わせて議場に議員を集め、突如、質疑打ち切り・ただちに採決を求める動議を出し、野党議員に退席するひまを与えず、議長(委員会の場合は委員長)がすぐさま採決を宣言し、「起立多数と認める」と議決を成立させてしまうという手口です。
本会議場にしろ、委員会室にしろ、出入り口は限られているので、何十名もの野党議員が直ちに議場から出ることは不可能だということを利用した、実にあくどく卑怯なやり口です。
要するにだまし討ちです。

かって本会議場でこれを強行するために、議長職権で衛視に議場の扉を開かせず、野党議員が議場から出るのを妨害したことさえあったと記憶しています。

野党がこれに抵抗する手段は、採決動議が出されたらすかさず、議長(委員長)不信任の動議を提出するか、議長席に押しかけてマイクを取り上げ、議長に裁決を宣言させないか、以外にないのですが、もちろん、このようなやり方で実際に採決を阻止できた例はほとんどなかったはずです。
「補足」 本会議における表決の方法は各議院規則により、次の4つのいずれかが採られますが、通常は議院運営委員会で議題と日程、表決方法などを予め決定した上で本会議を開きますので、まず議場で表決方法を改めて決定することはなさそうです。
@ 起立採決 - 議題に賛成の者を起立させ、議長が起立者の多寡を認定する。
A 記名投票 - 議員氏名が記され賛成反対の別に色分けされた木札の投票による。
B 押しボタン式投票 - 議席に設置された投票機の賛成または反対のボタンを押すことにより投票となり、議場内の表示板に投票結果が表示される。
※参議院でのみ導入されており、議長が必要と認めたときに採用されます。
C 異議なし採決 - 議長が議題についての異議の有無を議院に諮り、異議なしと認めたときは可決の旨を宣告する。
※この場合の通称が「満場一致」。議長の宣告に対して議員が異議を申し立てたときは、議長は異議なし採決をとれないことになっていますが、予め議院運営委員会で各党から了解を得ているのが普通なので、まず本会議で異議ありとはされないようです。
第57条
   1


   2



   3

Article 57.
〔会議の公開と会議録〕
両議院の会議は、公開とする。但し、出席議員の3分の2以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。
両議院は、各々その会議の記録を保存し、秘密会の記録の中で特に秘密を要すると認められるもの以外は、これを公表し、且つ一般に頒布しなければならない。
出席議員の5分の1以上の要求があれば、各議員の表決は、これを会議録に記載しなければならない。
1 Deliberation in each House shall be public. However, a secret meeting may be held where a majority of two-thirds or more of those members present passes a resolution therefor. 
2 Each House shall keep a record of proceedings. This record shall be published and given general circulation, excepting such parts of proceedings of secret session as may be deemed to require secrecy. 
3 Upon demand of one-fifth or more of the members present, votes of the members on any matter shall be recorded in the minutes. 
ここでまた「3分の2」問題が出てきました。
本来は国民を代表する立場にある国会議員が、国民に対して秘密裡に会議を行うことなど許されるべきものではないはずです。

さらに第2項にあるように、会議記録を公表しないと決めることもできるので、もし政府与党に議院の3分の2以上の議席を与えれば、国会で何を議論されていたかどうか、国民が知りえないという事態もあり得ます。

幸いにして現憲法下では、まだ秘密会が行われたことはありません。
しかし、ここで言う会議とは本会議のみを意味し、委員会は国会法第52条で、その決議(過半数の賛成)によって秘密会とすることができる点が問題です。

また委員長は、議院規則に違反するなどの理由により、議員の発言を制止し、取り消させる、すなわち会議の記録から抹消する権限を、議院規則で与えられている点も、会議の秘密性に寄与するものと考えられます。

このように、委員会で表決されれば、その質疑内容が国民に知らされることなく、法案が本会議に上程され、一挙に議決まで持ち込まれることもありえます。
最近では、第168回国会のテロ防止特別委員会で秘密会が行われています。

第3項では各議員の表決責任を記録(すなわち公表)できると規定されていますが、実際の本会議の採決方法などは、予め議院運営委員会において議案や日程とともに協議決定されていますので、本会議でいきなりそのような要求が出されることはないと考えられます。
各議員の表決記録を残すには、第56条の補足に書いた表決方法のうち、記名投票を採用する必要があります。
第58条
   1
   2




Article 58.
〔役員の選任及び議院の自律権〕
両議院は、各々その議長その他の役員を選任する。
両議院は、各々その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする。
1 Each House shall select its own president and other officials. 
2 Each House shall establish its rules pertaining to meetings, proceedings and internal discipline, and may punish members for disorderly conduct. However, in order to expel a member, a majority of two-thirds or more of those members present must pass a resolution thereon.
この条の第1項は、議会として当然のことを、ずいぶんとあっさり書いてあり、具体的な手続きについては触れていません。
現憲法では、けっこう具体的なことまで細かく規定した条文と、これのように非常に大雑把な条文とが併存しています。

この条に関して言えば、見出しにあるとおり議院の自律権が骨子であり、議院の運営のための人事や規則等については、各議院みずからが決定するべきものと規定したものであり、その細目は文言に盛り込まれないのが当然というわけです。
したがって実際的な運営については、衆参両院各々の「議院規則」によって決められています。
また「議院規則」は、例えば政府(法務省)のホームページには掲載されておらず、衆議院・参議院それぞれのホームページに掲載されており、政府の管掌する法令・省令とは全く別物であって、議院の独立性を端的に示しています。

一見すると、両議院が勝手なことをやるのを許しているかのようですが、市民革命による議会制民主主義の成立という歴史的背景を考えれば、議会の独立性(自律権)はそれほどに尊重されるべきものであるということでしょう。

また第2項で、わざわざ議員除名についての規定だけは、議院規定に依らず、憲法本文中に入れてあるというのは、国民の代表である議員を、議院内で勝手に除名することは許されないからと解釈できるでしょう。
第59条
   1

   2


   3


   4



Article 59.
〔法律の成立〕
法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。
衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案は、衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で再び可決したときは、法律となる。
前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。
参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取った後、国会休会中の期間を除いて60日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。
1 A bill becomes a law on passage by both Houses, except as otherwise provided by the Constitution. 
2 A bill which is passed by the House of Representatives, and upon which the House of Councillors makes a decision different from that of the House of Representatives, becomes a law when passed a second time by the House of Representatives by a majority of two-thirds or more of the members present. 
3 The provision of the preceding paragraph does not preclude the House of Representatives from calling for the meeting of a joint committee of both Houses, provided for by law. 
4 Failure by the House of Councillors to take final action within sixty (60) days after receipt of a bill passed by the House of Representatives, time in recess excepted, may be determined by the House of Representatives to constitute a rejection of the said bill by the House of Councillors.
第59条以下61条までは参議院に対する衆議院の優越を規定しています。

第3項に両院協議会とありますが、両院の議決が一致しなかった場合すべてというわけではなく、必ず開かれるのは第60・61・67条に定めた次のケースに限られます。
@内閣総理大臣の指名 A予算の議決 B条約の承認
また議決不一致の場合に両院協議会の開催を要求する権利は、両院にありますが、国会法によって、衆議院に優先権が認められているので、参議院の要求を衆議院は拒否できるのに対し、その逆はありません。
したがって、通常の国会の議決においては、全面的に衆議院が優先権を持つと言えます。

また、国会報道では、衆議院可決ののち法案が参議院に送付されたと言われることが多いのですが、法案の審議・議決を両院のどちらが先に行うかは、憲法上(第60条)予算案以外に規定されておらず、法案先議権は原則的に両院対等です。
しかし実際上は、大半(平均80%台)の法案は、衆議院が先に議決して参議院に送付されているのが現実です。

しかし、憲法改正原案に関しては、この条に「法律案は」とあり(=憲法は一般の法律とは別という考え方に立って)、かつ国会法(第86条の2項)においても、憲法改正原案についての議決不一致の場合は、両院協議会の設置要求権は対等であると規定していますので、一般的には両院一致でなければ、国会承認とならないものとされています。
ただし現憲法内には、そこまで具体的に踏み込んだ規定は盛り込まれていませんので、「法律案」に憲法改正原案も含むものと強引に解釈することが不可能とまでは言い切れません。
第60条
   1
   2





Article 60.
〔衆議院の予算先議権及び予算の議決〕
予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。
予算について、参議院で衆議院と異なった議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取った後、国会休会中の期間を除いて30日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。
1 The budget must first be submitted to the House of Representatives. 
2 Upon consideration of the budget, when the House of Councillors makes a decision different from that of the House of Representatives, and when no agreement can be reached even through a joint committee of both Houses, provided for by law, or in the case of failure by the House of Councillors to take final action within thirty (30) days, the period of recess excluded, after the receipt of the budget passed by the House of Representatives, the decision of the House of Representatives shall be the decision of the Diet.
なぜ予算案についてのみ衆議院の先議権を、憲法条文にあるのでしょう。

あるWEBサイトの解説によれば、
「もし参議院が予算案を審議入りしてしまうと、その可決を待たねば衆議院は審議入り・議決ができない。
したがって、参議院が審議を長引かせれば、衆議院による予算案可決=成立が不可能となり、もし、そのまま翌会計年度に入れば、内閣は行政を執行する財政上の裏付けを失うことになり、事実上、参議院により内閣が不信任とされたことになる。
それでは第67条で内閣総理大臣の指名において衆議院が優先すること、ならびに第69条で内閣不信任決議についての衆議院の専有事項としてあることとの整合性がとれない。」
とありました。

また別の解説例では、
「任期が短く、解散制度が存在する点で、国民意思を直接に代表する機関である衆議院に予算先議権を与えた。」
「第2項により、衆議院が可決してから30日後には予算は成立するので、3月2日までに予算が衆議院で可決されれば、会計年度のはじまりである4月1日に間に合う。(通常国会の召集から翌会計年度までの予算案成立の日程優先)」
などとあります。

明治憲法においても、第65条で「予算ハ前ニ衆議院ニ提出スヘシ」と定められており、第39条で「両議院ノ一ニ於テ否決シタル法律案ハ同会期中ニ於テ再ヒ提出スルコトヲ得ス」と貴族院と衆議院を対等に見なしているのに対し、衆議院の優越を認めています。
近代王制下の二院制(身分制)議会では、上院が王権護持あるいは王権を背景とした権威の立場であるのに対し、下院は民衆の利益を代表する立場にあり、予算は民衆の生活に直接的影響があるので、予算案に関しては下院に先議権などの優位性を持たせるものとされるようです。
明治憲法もそうした考え方により、衆議院に予算案の先議権を与えたものと思われます。

その意味で、現憲法の第60条は明治憲法の流れをくみ、かつ議院内閣制の性格を明確にしたものと言えるでしょう。
なお蛇足ですが、現憲法の第4章 国会の条文は、かなり明治憲法の第3章 帝国議会から受け継がれたものを認めることができます。
第61条


Article 61.
〔条約締結の承認〕
条約の締結に必要な国会の承認については、前条第2項の規定を準用する。
 The second paragraph of the preceding article applies also to the Diet approval required for the conclusion of treaties. 
前条第2項の準用、すなわち両院の議決不一致の場合、もしくは衆議院議決案の送付後30日以内に参議院が議決しなかった場合の、衆議院の優越を定めています。

なぜ条約の承認については、わざわざ、両院協議会を開くだの、30日以内に成立だのと、国会議決を急がせるように定めているのでしょう。
ネットで検索しても、意外にその理由を説明しているものが見つかりません。

あるサイトには「国際関係上速やかにその効力を確定する必要があるため」との記述がありました。
条約の締結自体は内閣の職務権限(第73条)事項ですが、事前もしくは締結後に国会の承認を得るべきものとされています。
しかし国会が承認しなくとも、内閣が締結した条約は発効することが国際法に定められています。

ですが、その条約に対して明らかかつ重要な係わりを持つ国内法がある場合は、例外とされています。
また条約の履行のために国内法の整備などが必要な場合、国会の承認がなければ事実上無効な条約となってしまいます。

こうした事情があるので、事前であれば、外交日程上、当然議決までの期間は限られますし、事後であれば、条約履行のための国内法整備等にただちに取り掛かるには、議決を急ぐことになります。
第61条はこのような理由で定められたものと思われます。

なおここで言う条約とは、名称としての条約だけに限らず、協定、取り決め、議定書など国家間の約束事を指すものとされています。
第62条



Article 62.
〔議院の国政調査権〕
両議院は、各々国政に関する調査を行い、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。
 Each House may conduct investigations in relation to government, and may demand the presence and testimony of witnesses, and the production of records.
この条もかなり微妙な内容を含んでいますね。

国政調査権は議院に与えられていますので、議員個人あるいは議院内の一会派だけでは行使できません。
日本の国会審議方法は、国会法の規定で委員会中心主義をとっているため、国政調査権の行使も委員会を通じて行うものとなっているようです。
ということは、与党が委員会で過半数を掌握していれば、野党側がいくら国政調査を実施したくとも、与党の同意なくしては不可能だということです。

具体的な内容としては、議院証言法による証人喚問、議院規則による参考人招致、国会法による官公署等に対する報告・記録請求が国政調査に当たるそうです。

「証人喚問」が嘘を言えば罪になるのに対し、政治資金問題などで国会議員がその対象になった例もある「参考人招致」では、嘘を言っても罪を問われないという違いがあります。

また官公庁の記録などを開示請求することが、議員個人や一会派では、どれほど困難ものかは、かっての「消えた年金問題」で長妻昭議員の記録開示要求に対し、社会保険庁が執拗な抵抗と妨害(※)をしたことを、その端的な例として挙げることができるでしょうでしょう。

※ 本人の弁によれば、立ち入り調査を阻止するため、職員が実力行使に及んだとのことです。
第63条





Article 63.
〔国務大臣の出席〕
内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかわらず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。
 The Prime Minister and other Ministers of State may, at any time, appear in either House for the purpose of speaking on bills, regardless of whether they are members of the House or not. They must appear when their presence is required in order to give answers or explanations.
明治憲法では、国務大臣は国会に出席し発言できるとだけ規定していましたが、議院内閣制をとる現憲法では、議院からの要求による出席を義務付けています。

しかし出席と発言の権利については「何時でも」と認めているのに対し、出席義務については「何時でも」とか「必ず」という文言が付されていません。
ここが曲者で、適当な理由があれば欠席しても良いという拡大解釈が、内閣法制局の国会答弁等で、政府見解として示されているのです。

実際に安倍内閣では2012年6月に参議院予算委員会の欠席を強行しました。しかも予算委員長から司式文書による要求に対し、署名のないメモ書きで拒否するという愚弄的な態度だったため、翌日の参議院本会議で問責決議案が可決されています。
安倍晋三個人はこれに加えて、2015年9月にも参院平和安全法制特別委員会で、安全保障関連法案を審議していた日に、大阪でテレビ出演するといった欠席の事例があり、露骨な国会軽視(憲法軽視)を繰り返しています。
第64条
   1

   2
Article 64.
〔弾劾裁判所〕
国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。
弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。
1 The Diet shall set up an impeachment court from among the members of both Houses for the purpose of trying those judges against whom removal proceedings have been instituted.
2 Matters relating to impeachment shall be provided by law.
三権分立を建前としている現憲法では、「第6章司法」で司法機関と裁判官の独立性を規定しており、その中で、裁判官の身分は公の弾劾に依らなければ奪われないものとしています。

第2項に言う法律「裁判官弾劾法」では、国会内に常設的に「裁判官弾劾裁判所」及び「裁判官訴追委員会」設置することと、衆参両院内の選挙で指名された議員が、裁判官もしくは委員となることが定められています。

裁判官の罷免は、国民もしくは最高裁判所から訴追委員会に請求し、委員会が罷免訴追の必要ありと認めた場合に、弾劾裁判所に訴追状を提出し、弾劾裁判所はここで初めて審判を行い、裁判官罷免の判決を下すことができます。
この判決に対し不服申し立ては認められず、当該裁判官は身分を失うだけではなく、司法資格をも奪われ、罷免後5年以上経過した後、資格回復の裁判を弾劾裁判所に求めて、認められるまで司法業務に就くことはできません。

ところで、実際に罷免訴追はどの程度行われているでしょうか。
現在の制度ができてから2015年までに18,000件以上の訴追請求がありましたが、実際に弾劾裁判が行われたのは、わずか9件で罷免判決は7例しかありません。
その内容も大半は破廉恥犯罪や汚職によるもので、一般によく知られた事件としては「鬼頭事件」ぐらいなものでしょう。

では裁判官は、それほどまでに清廉潔白で業務上に著しい誤りがないものなのでしょうか。
冤罪判決を下した裁判官などは訴追請求されているようですが、まったく訴追されていません。また汚職まがいのことを行った場合も、刑事責任は問われても、裁判官身分を取り上げるほどの重要事犯ではないとされるのが慣例的になっているようです。

それも当然のことで、そもそもこの第64条は一見、司法の独立性を端的に表す条文であるかのようですが、そもそも憲法で裁判所を統括する最高裁判所の長官は、内閣の指名に従って天皇が任命し(第6条)、それ以外の最高裁の裁判官は内閣が任命する(第79条)と定めているのですから、事実上、裁判所は内閣の支配下にあると言っても過言ではありません。
弾劾裁判所も訴追委員会もその構成は与党議員が多数を占めているわけですから、あえて弾劾に及ばなくとも、内閣のコントロール下にある最高裁の人事権に任せておけば良いのです。
実際に訴追請求を受理したら、事実調査を行わねばならず、わざわざ国会議員がそのような面倒なことをするはずがありません。
第5章 内閣 CHAPTER V. THE CABINET
第65条

Article 65.
〔行政権の帰属〕
行政権は、内閣に属する。
 Executive power shall be vested in the Cabinet.
なんと簡単な条文でしょう。句読点を入れてもたったの12文字です。

明治憲法を参照すると、黒田清隆の署名肩書以外に、条文の中には「内閣」という文字がまったくありませんが、行政権の帰属については、「第1章 天皇」 に
第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第6条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
第8条 1 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
2 此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ
第9条 天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス
第10条 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル
第16条 天皇ハ大赦特赦減刑及復権ヲ命ス
との条文があり、およそ行政権のすべてが天皇一人に掌握される旨を定めています。

これを現憲法の第65条とその他の条文と比較すると、現在の内閣は明治憲法の天皇とほぼ同じ独裁権を掌握していることが分かります。

明治憲法の天皇の大権が実際には枢密院に握られていたことを考えれば、今の内閣総理大臣は明治憲法下の天皇以上の存在であると言っても過言ではないでしょう。

なぜならば、内閣は衆議院の解散権を持ち、国会召集の決定権を持ち、最高裁の裁判官の任命権を持っているのですから、三権分立というのは建前であって、事実上、三権のすべての長たる存在です。

しかも、明治憲法の「第1章 天皇」には、軍の統帥権の条文がありますが、現憲法では「軍」の存在を認めていないので、それにかかわる条文がなく、自衛隊を動かす権限は内閣が一手に握っています。

たったの12文字に過ぎない条文なのですが、現憲法の他の条文と合わせ見ると、実に恐るべき条文です。安全装置のない議院内閣制の恐ろしさというものを、日本の国民が今までは(!)知らずに済んだというのは、幸運だったと言うべきでしょう。
第66条
   1


   2

   3

Article 66.
〔内閣の組織と責任〕
内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う。
1 The Cabinet shall consist of the Prime Minister, who shall be its head, and other Ministers of State, as provided for by law.
2 The Prime Minister and other Ministers of State must be civilians. 
3 The Cabinet, in the exercise of executive power, shall be collectively responsible to the Diet.
1項に言う法律=「内閣法」で、内閣の職権、構成、閣議、内閣総理大臣の任務と指揮監督権、内閣官房の設置などが定められています。

この中で内閣総理大臣は、国務大臣の任命、閣議の主宰、法律案・予算案等の議案の国会への提出、行政各部への指揮監督、行政各部の出した処分・命令の中止ができるとされています。

国務大臣にも、閣議決定における全員一致の原則や閣議開催の要求など、内閣内で一定の権限はあるものの、その任命権を握っているのですから、内閣総理大臣は事実上の独裁権を持っていると言えるでしょう。
もし、国務大臣がそれに不服であれば、国会に内閣不信任決議を促すほかはなく、当然そうなれば解散・総選挙ということになるわけですから、与党内でクビのすげ替えが多数意見とならない限り、そのようなことは起こりえないでしょう。

2項の文民規定は、現憲法下では存在しえないはずの軍人の存在を前提としています。
これは第9条の私注でも触れましたが、9条に戦争と武力行使の放棄ならびに戦力の不保持に前提条件を加えられたため(いわゆる芦田修正)、連合国側の要求に沿って、将来的な軍隊の保有に備えた(=軍部の独自行動を抑え込む)ということでしょう。
このあたりの事情は、憲法改正を巡る1946年の衆議院での度重なる原案修正と貴族院による2項の追加などの経過を詳しくたどれば理解が深まると思いますが、とてもそこまで調べる余裕はボクにはありません。

ともかく第9条と第66条2項を裏読みすれば、現憲法下でも軍隊保有は可能であるという解釈が成り立つというわけです。
第67条
   1


   2





Article 67.
〔内閣総理大臣の指名〕
内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だって、これを行う。
衆議院と参議院とが異なった指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議決をした後、国会休会中の期間を除いて10日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。
1 The Prime Minister shall be designated from among the members of the Diet by a resolution of the Diet. This designation shall precede all other business. 
2 If the House of Representatives and the House of Councillors disagree and if no agreement can be reached even through a joint committee of both Houses, provided for by law, or the House of Councillors fails to make designation within ten (10) days, exclusive of the period of recess, after the House of Representatives has made designation, the decision of the House of Representatives shall be the decision of the Diet. 
第67条の主旨は3つに要約されます。

1、内閣総理大臣は国会議員でなければならないこと。
2、内閣の活動すなわち国の行政に空白を生じさせないため、速やかにすべての案件に優先し、議決すべきこと。
3、衆議院に指名優先権があること。

日本の国会議員選挙は比例代表併用制であるとはいえ、被選挙権に政党所属などの条件が付されていませんから、政党選挙制ではなく、基本は個人の選挙選出に置かれています。
政党選挙制ではない以上、議院内で最大会派を形成した政党を基礎として内閣を組織する政党内閣制だからといって、議員以外の人物を内閣総理大臣に指名されたらどうでしょう。
普通、内閣総理大臣は衆議院で最多数議員を擁する政党の代表が選ばれていますので、事実上、国民は総選挙において間接的に内閣総理大臣を選出しています。
となると、無所属議員に投票する場合、国民の意思は内閣形成に反映されず、国民の参政権に不平等が生じるものと個人的には思います。

ですが、第67条で議員から選出と定めている実際の理由は、内閣と国会のバランスがとりやすく、国政がスムーズに運営できるという点にあるものと考えられます。
国会内の最大会派が与党であれば、内閣と国会の対立が避けられます。アメリカや韓国のように直接選挙制で選ばれた大統領が行政の長である場合、与党が議会少数派であれば、国政が停滞するという事実を見れば、第67条の規定は当然であると言えるでしょう。

また、衆議院に議決の優先権が与えられているのは、第59・60・61条にあるとおりですが、第60条(予算)と第61条(条約)の自然成立までの猶予期間は参議院に30日与えられているのに対し、10日以内と定めています。
もちろんこれには内閣空白期間を短くするという理由もあるでしょうが、内閣総理大臣の指名権において、衆議院の優越性をより際立たせるという意味も含んでいるものと考えられます。
第68条
   1

   2

Article 68.
〔国務大臣の任免〕
内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。
内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。
1 The Prime Minister shall appoint the Ministers of State. However, a majority of their number must be chosen from among the members of the Diet. 
2 The Prime Minister may remove the Ministers of State as he chooses. 
第1項の国会議員過半数占有は、第66条第3項に内閣には国会との連帯責任があると規定している以上、当然のことでしょう。内閣総理大臣自体が国会議員であることとも関連しています。

また明治憲法下の内閣では、官僚内閣が形成されたため、国民の意思を代表する衆議院と行政上の連帯が欠けたことから、このように定められたとも言われています。

しかし実態としては、議員から任命された各省大臣には実務上も専門知識上も省内を統治する能力はなく、それどころか国会質疑でさえ官僚が用意しなければほとんど答弁不可能であり、議院内閣制とは名ばかりで官僚内閣制と少しも変りないことは、周知のとおりです。

(内閣の意思決定は全会一致を基本原則とするが、各省庁は高い自律性を持ち、大臣はその代表者として省庁の意思を代弁する者となってしまい、また、個々の政策決定に官僚の同意が必要であるため、内閣の意思決定には省庁の官僚間での調整が必須であり、首相が積極的に政策形成や意思決定、政策転換を行うことを難しくさせるという指摘もある。以上、出典=Wikipedia)

要するに第1項の実情は、与党党首による党員の論功行賞として利用されているに過ぎません。

その一方第2項は、上記の全会一致原則に反する大臣が現れ、意思決定に反対しかつ辞職もしないという事態が起きた場合、もし首相が任意に罷免できなければ、内閣総辞職を行う以外にその大臣をやめさせることができず、内閣としての機能が損なわれることを防ぐために必要な規定です。

このことは、明治憲法下で閣内不統一により内閣総辞職という事例があった(代表例が近衛内閣から東条内閣への交代劇)という歴史的事情を考えれば、その必要性は明白だと思えます。
第69条



Article 69.
〔不信任決議と解散又は総辞職〕
内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
 If the House of Representatives passes a non-confidence resolution, or rejects a confidence resolution, the Cabinet shall resign en masse, unless the House of Representatives is dissolved within ten (10) days.
この条文は単純に解釈すると、衆議院による内閣総辞職決定権と、それに対する内閣の対抗的解散権を規定しているように思えます。
しかし、そもそも衆議院の議決が参議院に優越しているとはいえ、国会の議決により形成された内閣を辞めさせることに対し、内閣がそれに対抗し得るのはなぜでしょう?
内閣総理大臣が直接選挙制で選ばれているというのなら、両者とも国民に選ばれたものだから対等であるとして、納得できますが。

衆議院の解散について直接的に定めているのは、第7条とこの第69条だけです。
第7条(天皇の国事行為)の規定に従えば、内閣が衆議院を解散させることに、格別の条件付けがされていませんから、あえて対抗権を条文に入れる必要もないはずです。

しかし、その一方で現憲法には両議院の自主的解散を認める条文がありません。
これは自主的に解散を決議することは、議院内の多数派が一方的に少数派の議席を奪う結果に結びつきかねないので、当然のことと言えます。
その半面、衆議院と内閣が対立的になった場合に、どちらの立場を認めるか、国民に信を問うことができないことになります。
そうした場合、衆議院は自ら解散できない代わりに、内閣不信任を決議して、内閣に解散をさせることができます。

そのように考えると、この条文は衆議院の自主的解散権に代わる条件を明らかにしたもの解釈できます。
解散というと、過去の大半の事例から、つい内閣総理大臣の独裁的な権限ばかりを思い浮かべがちですが、そればかりではないというわけです。

なお、内閣の衆議院解散権については、憲法上の解釈にいくつかの学説があり、必ずしも任意の解散権を認めていないという学説もあるのですが、最高裁の判例などにより、第7条を論拠として、内閣による解散には制限が加えられないものとされています。
第70条




Article 70.
〔内閣総理大臣の欠缺又は総選挙施行による総辞職〕
内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があったときは、内閣は、総辞職をしなければならない。
 When there is a vacancy in the post of Prime Minister, or upon the first convocation of the Diet after a general election of members of the House of Representatives, the Cabinet shall resign en masse. 
この条は、日本が議院内閣制である以上、当然の規定だと言えますが、憲法各条を見直していると、裏読み・深読みするのがクセのようになってしまいましたので、いちおう調べてみました。

首相官邸ホームページでは、この条の具体的解釈として、
「内閣総理大臣が、死亡又は失格(議員の議席を失う)などの理由によって欠けたとき」」
「先に内閣総理大臣を指名した衆議院の構成員が改選され、内閣はその存立の根拠を失ったことになるから、新しい国会の信任を改めて仰ぐ趣旨によるものである。総選挙の結果、政府与党が多数を占め、再び同一人が指名されることが予想されるときでも、信任の基礎を新たにするため」
内閣は総辞職しなければならない、という解説があります。

ではその「失格」とは具体的に何を指すのでしょう?
Wikipediaでは死亡のほかに、「昏睡状態、失踪、国外への亡命、文民たる資格を喪失する場合、除名・資格争訟・選挙争訟・当選訴訟等によって国会議員たる資格を喪失する場合」が、これにあたるものと説明があります。
それら個々が正しいかどうか調べるのは面倒なので省略しましたが、概ね妥当な説明だと思います。

ただ「昏睡状態」で失格というのは、2000年4月25日の参議院予算委員会に於ける内閣法制局長官の答弁によるもので、同月2日に当時の小渕恵三首相が脳梗塞で昏睡状態に落ちていた(担当医師の証言)はずなのに、青木内閣官房長官を首相臨時代理に指名したことにして、同月5日に内閣を総辞職とし、2か月後の総選挙で森喜朗(馬のクソ)首相が誕生するといった一連の政治疑惑の言い訳に過ぎないものと思われます。

なお戦後の内閣総辞職で、首相死亡によるものは、上記のとおり小渕内閣は該当せず、また大平正芳内閣も大平首相自身が死亡したのは、衆議院の内閣不信任議決に対し解散をさせた後の総選挙中のことであるため、内閣総辞職は伊東正義官房長官の総理臨時代理によって行われているので、これも該当せず、形式上は1件もなかったことになっています。
従って、「内閣法」によって首相が急死した場合は「その(首相が)予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う」とされ、内閣総辞職もこの臨時代理が取りまとめることになっていますが、その実例はいまだありません。
また病気を理由として内閣総理大臣が辞職した例は、石橋湛山、池田隼人、安倍晋三の3例しかありません。
第71条


Article 71.
〔総辞職後の職務続行〕
前2条の場合には、内閣は、あらたに内閣総理大臣が任命されるまで引き続きその職務を行う。
 In the cases mentioned in the two preceding articles, the Cabinet shall continue its functions until the time when a new Prime Minister is appointed.
第71条は行政の継続性を確保する必要性から定められているものと理解できますが、一つ大きな問題があります。

通称「職務執行内閣」と言われるのですが、この「職務」の範囲については、特に何も条件や制限が付されていません。
既に総辞職している立場にある者が務める以上、その職務の範囲については一定の制約があるものと解されているようですが、これはあくまでも常識的な一般論と言うべきもので、学説上あるいは内閣法制局の見解上確立したものではないようです。

幸いにして現憲法施行後、問題となるような事態は起きていないようですが、内閣不信任の議決権を持つ衆議院を解散させておき、総選挙後の最初の国会召集までの間(第54条によれば最長で70日間)に、本来なら衆議院に不信任を決議されるような独走的職務執行があったら、いったいどうなるのでしょう?

職務執行内閣であっても第7条(天皇の国事行為)第72・73条(首相と内閣の職務権限)のすべてが可能である、という考えを持つ首相が、将来現れないとは限りません。
憲法にも内閣法にも、職務執行内閣の権限に一定の制限を定められていないのですから、ちょっと怖い話です。
わずかに第66条3項「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う。」が、この問題に関連するのではないかと思えなくもないですが、やはり明確な規定があるべきだと思います。

第72条



Article 72.
〔内閣総理大臣の職務権限〕
内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。
 The Prime Minister, representing the Cabinet, submits bills, reports on general national affairs and foreign relations to the Diet and exercises control and supervision over various administrative branches.
何度も繰り返しますが、日本の内閣総理大臣の実際の権限は、この条に書かれたようなごく常識的なものにとどまらず、第7条に列記された天皇の国事行為をはじめ、およそ行政・立法・司法のすべてを支配し得るものです。

これによる弊害が現れなかったのは、実は奇跡でも幸運の賜物でもなく、自民党そのものが保守党派の大同団結で誕生し、左翼勢力の伸長を抑え込むためにはあらゆる党内の矛盾を抱え込んだまま、1993年まで40年近くも分裂せずにいたおかげでしょう。
極端な例えで表現すれば、自民党とは背後にソ・中が控えた日本国内の革新勢力との対決を勝ち抜くための大政翼賛会のようなものだったと言っても良いでしょう。

その証拠に、ゴルバチョフ出現でソ連が自ら弱体化し、東西対立の構図が崩壊すると、たちまち自民党の団結が崩れ、保守合同以来初めて政権から転落したではありませんか。
あれを自民党の金権体質が国民不信を招いたからであるとか、小選挙区制を導入したせいだと思っているのなら、とんでもないお人好しだとボクは思います。
あれはもはや左翼勢力(政党と組合)が脅威でもなんでもなくなり、保守を大同団結させておく必要がなくなったから、その束縛を某国が解いた結果だとするのが、ボクの個人的見解です。

それは当然のことで、保守的性格の政党だらけになれば、もうどの政党が日本の政権を担当しようと、某国はそのコントロール下に置くことができるのですから。
そうなれば、あとは某国のお気に入りにさえなれば、非主流派にいた人物でも自民党内を牛耳ることができるようになるというのは必然です。
その代表例が郵政を解体して某国の金融資本を大喜びさせた小泉純一郎であり、小泉退陣前に某国を訪問してお気に入りになることに成功したと思われる安倍晋三でしょう。
そうでなければ当時ポスト小泉の最有力候補とされ『麻垣康三』と呼ばれた4人の中で、人望も人格もなさそうで、しかもまともにスラスラと言葉の出ないような話し方しかできないような知能の持ち主である安倍晋三が、あっさりと自民党総裁選で勝つことができるはずがありません。
第73条














Article 73.
〔内閣の職務権限〕
内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行う。
* 1 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
* 2 外交関係を処理すること。
* 3 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によっては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
* 4 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
* 5 予算を作成して国会に提出すること。
* 6 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
* 7 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。
 The Cabinet, in addition to other general administrative functions, shall perform the following functions: 
*1 Administer the law faithfully; conduct affairs of state. 
*2 Manage foreign affairs.
*3 Conclude treaties. However, it shall obtain prior or, depending on circumstances, subsequent approval of the Diet.
*4 Administer the civil service, in accordance with standards established by law. 
*5 Prepare the budget, and present it to the Diet.
*6 Enact cabinet orders in order to execute the provisions of this Constitution and of the law. However, it cannot include penal provisions in such cabinet orders unless authorized by such law. 
*7 Decide on general amnesty, special amnesty, commutation of punishment, reprieve, and restoration of rights. 
この条は一見、第65条(行政権の帰属)を補足するもののように思えますが、なぜ一か条にまとめてしまわなかったのか不思議です。

明治憲法にはこれに相当する条文が見当たらないどころか、そもそも第55条に「 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」と規定している以外、内閣の職務についての独立した文言自体がなく、行政の権限は「第1章 天皇」の中に一括されています。
それを考えると、明治憲法では天皇に帰属していた行政権を、現憲法では第65条で内閣に帰属すると、まず宣言していて、その中身については項を改めたのも頷けます。

条文の1号は、国会で議決された法律は、内閣が上程したものではなくとも、執行する義務があると言っています。
以下、憲法の他の条と照らして、極めて当然のことを列記しているかのように思えます。
ただ、ちょっと恐いのは「政令制定」の6号で、およそ法律の実際の施行にあたっては、具体的な施行細目を「政令」または「省令」として出すのが当然のようになっていますが、その政令等を施行するにあたって、中央官庁あるいは地方自治体がさらに細かな「施行規則」を定め、さらに法律執行の実務を委任された地方自治体は「施行細則」を定めるという具合になっています。
また中央官庁は「施行規則」以外に「通達」または「通知」によって細かな施行規定を設けることが多いようですが、政令・省令・条令・施行規則までは概ね公布が(必ずしも法令によってではなく内部規則などで)規定されているので、一般人も知ろうと思えば可能であるはずなのに対し、通達・通知は行政機関内のやり取りなので、報道されない限り、一般人はその内容を知る機会はほとんどありません。

法令その他全般の「公布」の具体的な方法などを一括して定めた法律がないというのも、ずいぶんいい加減な話だと思うのですが、公布されない通達・通知のほかにも「ガイドライン」だの「要綱」だのと、およそ一般人がそこまで目の届きそうもないことによって、法律・政令・省令が国民に対し実際に施行されているというのが、日本の法治の実情です。
第74条


Article 74.
〔法律及び政令への署名と連署〕
法律及び政令には、すべて主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする。
 All laws and cabinet orders shall be signed by the competent Minister of State and countersigned by the Prime Minister.
第74条は制定にあたって、明治憲法からの承継的意味と主権在民の政府権限との関係などから、かなりすったもんだしたといういきさつがあるらしく、この内容においても、意義不明瞭な部分があるという指摘が見受けられました。

政令は内閣が制定するものですから、その提案から施行に至るまでの主幹省庁の大臣が署名し、承認の意味で首相が連署するのは当然でしょう。
しかし法律は、たとえ内閣が上程したものであろうと、制定したのは国会ですから、国務大臣の署名を必要とする理由が見当たりません。
強いて言えば、およそ大概の法律は官公庁に対して、何らかの命令・指示を与えることになるから、その執行責任者たる大臣・首相の署名があるべきだという程度でしょう。

法律・政令の施行にあたっては、署名・連署がなくとも効力を生じるものとされていますので、単に執行の最終責任が誰に帰するかを明らかにするための条文であると解釈できるでしょう。
第75条



Article 75.
〔国務大臣訴追の制約〕
国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。
 The Ministers of State, during their tenure of office, shall not be subject to legal action without the consent of the Prime Minister. However, the right to take that action is not impaired hereby. 
第75条は第50条の国会議員の不逮捕特権と対照的な印象を受けます。

第50条が国会議員が訴追されないとまでは規定していないため、逮捕されないまま訴追され(=在宅起訴)、有罪判決を受ければ、国会会期中であろうと議員は収監されることがあり得ます。
この場合、禁固以上の有罪判決が確定すると、国会法第109条により、国会議員としての身分も失います。

それに対し第75条では、訴追は首相の同意を必要としますが、訴追と逮捕・勾留とは直接的に関係がないとして裁判所が令状を交付し、現職大臣が逮捕されてしまった例はあります。
(1948年の昭和電工疑獄事件。逮捕された大臣は2日後に辞任。)

しかしその後は、ロッキード事件やリクルート事件をはじめ、現職大臣の名前が取りざたされたいくつもの政界汚職事件や政治資金規正法違反事件、公職選挙法違反事件があったにもかかわらず、”現職”大臣は逮捕されたことがありません。
それを大臣たちが皆清廉潔白だったからなどと思う人は、まずいないでしょう。国民の目の届かないところで、いわゆる「指揮権発動」もどきが行われていたと考えることの方が常識というものでしょう。
第6章 司法 CHAPTER VI. JUDICIARY
第76条
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Article 76.
〔司法権の機関と裁判官の職務上の独立〕
すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行うことができない。
すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される。
1 The whole judicial power is vested in a Supreme Court and in such inferior courts as are established by law. 
2 No extraordinary tribunal shall be established, nor shall any organ or agency of the Executive be given final judicial power. 
3 All judges shall be independent in the exercise of their conscience and shall be bound only by this Constitution and the laws.
第76条で、裁判を行える機関は最高裁と法律(裁判法)で定められた下級裁判所だけであると規定されています。

2項では1項を補足して、最高裁の下級裁判所以外に、特別裁判所を設ける法令を制定できないものとしていますが、その一方で行政機関が審判を行うことは妨げておらず、訴訟に準じた手続きによる「行政審判」が行われて、その決定に不服のある者は(高裁)に上訴できることを意味しています。

しかし、この条で問題なのは3項で、一見したところ、裁判官は政治権力や裁判所内の上司などから拘束されないかのように受け取れ、このあとの第78条でもその身分が保障されるものと規定していますが、良くも悪くも、実情はこのとおりではないと思われます。

厄介なのは「その良心」という文言で、何の条件も付けずにただ良心としているので、それが客観性や普遍性を持たない個人的な良心であってもかまわないかのように解釈されかねません。

そのためか、最近は報道で、過剰な正義感や偏った思想から、常識外れのおかしな判決を出す裁判官の存在が云々されていますが、おかしな判決であれば当然上訴され、上級審の裁判官が「これはヘンだ」と思うはずですし、おかしな判決を連発してる裁判官は評価が落ちて、「裁判長」から外される配置転換を受けたりするようです。これは良い方の例でしょう。

悪い例の代表では、過去に砂川事件や長沼ナイキ訴訟で違憲判決を下した地裁裁判官が、左遷・冷遇されたことが挙げられます。
最近ではどうなのか分かりませんが、選挙区問題で違憲判決をたびたび下している裁判官たちのその後などが気になります。

第77条
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Article 77.
〔最高裁判所の規則制定権〕
最高裁判所は、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について、規則を定める権限を有する。
検察官は、最高裁判所の定める規則に従わなければならない。
最高裁判所は、下級裁判所に関する規則を定める権限を、下級裁判所に委任することができる。
1 The Supreme Court is vested with the rule-making power under which it determines the rules of procedure and of practice, and of matters relating to attorneys, the internal discipline of the courts and the administration of judicial affairs.
2 Public procurators shall be subject to the rule-making power of the Supreme Court. 
3 The Supreme Court may delegate the power to make rules for inferior courts to such courts.
第77条は、前条で裁判所の司法権の独立をうたっている以上、訴訟全般の規則は裁判所が決めるものとしています。

当然のことでしょう。裁判のやり方を国会が決めてしまったら、事実上司法権が国会の下に置かれてしまいます。

検察官は行政官であって、内閣の支配下にあり裁判所の命令に服する必要がないというわけにはいきませんから、2項でわざわざ「規則に従う」よう命じてあるのも、また当然だと思われます。

第76条は第77条があって、はじめて実効性を持つものだと思います。これを明治憲法と比較してみますと、明治憲法では第57条で「1 司法権ハ天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ  2 裁判所ノ構成ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム」となっていて、裁判所には自律的に訴訟の規則を定める権限が認められていません。
(のみならず、明治憲法では特別裁判所や行政裁判所の設置と、それらの手がける訴訟には裁判所の権限が及ばないことまで定められています。)

それを考えると、現憲法で司法権の独立を何か条にも亘って規定してあるのは、国民の安心のためには確かに必要なことだと納得がいきます。
ただいちばん肝心の長官以下の最高裁裁判官の任命権を内閣が握っているのは、どうにも納得できない部分ですし、実際これにより、選挙区問題などで実効性のある違憲審判権の行使が妨げられ、多くの国民が不利益をこうむっているのは大いに問題があると言わねばなりません。
第78条




Article 78.
〔裁判官の身分の保障〕
裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行うことはできない。
 Judges shall not be removed except by public impeachment unless judicially declared mentally or physically incompetent to perform official duties. No disciplinary action against judges shall be administered by any executive organ or agency. 
この条もやはり第76条の主旨を実現するための規定と言えるでしょう。

裁判官の罷免は、「裁判」による決定と第64条に規定された弾劾裁判との2つのケース以外にはないと定めていますが、ここで言う「裁判」にあたるものは、「裁判官分限法」で分限事件の裁判と呼ばれているもので、行政機関には認められていない裁判官の懲戒処分も、分限事件とされています。(略称、分限裁判。)

地裁・家裁・簡裁の裁判官の分限事件については、その区域を管轄する高裁に裁判権があり、5人の裁判官の合議体が取り扱い、高裁・最高裁の裁判官の分限事件ならびに前記の分限裁判に対する抗告については、最高裁大法廷が取り扱うものと、裁判官分限法で規定されています。

「裁判所法」第80条(司法行政の監督)に、最高裁以下の下級裁判所の職員に対する監督権は、その上位にある裁判所が有すると規定してあることに従って、上記のように定められています。

分限裁判で懲戒処分が下された例は、過去に何件もありますが、政治活動をしたことで裁判官の職務上の義務に反したという理由で懲戒処分となった例が若干気になるのを除けば、記録紛失・暴力事件・痴漢等の破廉恥行為など内容的には概ね妥当な理由によるもののようです。罷免の例も妥当な理由による2件しかなく、全体としては、この制度が政治的に悪用されてはいないような印象を受けます。
第79条
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Article 79.
〔最高裁判所の構成及び裁判官任命の国民審査〕
最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行われる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後10年を経過した後初めて行われる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。
審査に関する事項は、法律でこれを定める。
最高裁判所の裁判官は、法律の定める年齢に達した時に退官する。
最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。
1 The Supreme Court shall consist of a Chief Judge and such number of judges as may be determined by law; all such judges excepting the Chief Judge shall be appointed by the Cabinet. 
2 The appointment of the judges of the Supreme Court shall be reviewed by the people at the first general election of members of the House of Representatives following their appointment, and shall be reviewed again at the first general election of members of the House of Representatives after a lapse of ten (10) years, and in the same manner thereafter. 
3 In cases mentioned in the foregoing paragraph, when the majority of the voters favors the dismissal of a judge, he shall be dismissed.
4 Matters pertaining to review shall be prescribed by law. 
5 The judges of the Supreme Court shall be retired upon the attainment of the age as fixed by law.
6 All such judges shall receive, at regular stated intervals, adequate compensation which shall not be decreased during their terms of office.
第78条までにたびたび問題にした司法権の独立性ですが、第79条では逆に国民による司法のコントロールを定めています。

間接的なコントロールは、内閣の(長官を含む)最高裁裁判官の任命権掌握と、国会の弾劾裁判所ならびに訴追委員会の設置によって行われていることになっていますが、直接的なコントロールは2項にある国民審査によることになります。

また別の面から見れば、国民は最高裁裁判官の任命について決定権を持ちませんが、罷免については決定権を持っているとも言えます。
さらに、もし国民審査により裁判官の罷免という結果が出た場合、内閣は裁判官任命権行使を不信任されたという意味にもなります。

このため現憲法制定時から、国民審査については政治家からも最高裁からも根強い反対があるようです。
そのような事情があるため、国民審査公報に裁判官本人の書いた文章以外に、国民が審査するために必要な情報の公開を公的に保障しないなど、制度の実質的な骨抜きが行われているわけです。

以前に触れたとおり事実上最高裁は内閣の支配下にあることが懸念されるにもかかわらず、国民審査制が骨抜きであることは大いに問題とすべきですが、これに対し一部の識者には、「司法界の長年の努力もあるので、内閣は最高裁判所事務総局が指名する人を任命している。 さらに各出身母体(弁護士会・検察庁)が指名した人から事務総局が選定するため、内閣の意思がが入り込む余地はない」という意見もあります。

しかし、この最高裁判所事務総局というものが曲者で、その長たる事務総長(行政各省の事務次官と同格の待遇)は最高裁長官が任命することになっており、裁判所内の出世コースの通過ポストであって、事務総長経験者の大半が高裁の長官(副大臣相当の待遇)となり、さらにその多くが最高裁の判事(国務大臣相当の待遇)になり、その果てに最高裁長官に上りつめる例も何件もあるということです。
Wikipediaによれば、18人の歴代最高裁長官の内6人が事務総長経験者だったとあります。

こういう事実があると、内閣による恣意的な任命はないというのは、単なる絵空事に過ぎないとしか思えません。
現在まで、最高裁判所裁判官15人の出身分野別人数は、1970年代以降おおむね、裁判官出身6人、弁護士出身4人、検察官出身2人、行政官出身2人、法学者出身1人となっていますが、出身分野と個人の思想・姿勢とが必ず連動しているというわけではありませんから、内閣が客観的で公正な任命をしている裏付けとするには不十分でしょう。
第80条
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Article 80.
〔下級裁判所の裁判官〕
下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によって、内閣でこれを任命する。その裁判官は、任期を10年とし、再任されることができる。但し、法律の定める年齢に達した時には退官する。
下級裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。
1 The judges of the inferior courts shall be appointed by the Cabinet from a list of persons nominated by the Supreme Court. All such judges shall hold office for a term of ten (10) years with privilege of reappointment, provided that they shall be retired upon the attainment of the age as fixed by law. 
2 The judges of the inferior courts shall receive, at regular stated intervals, adequate compensation which shall not be decreased during their terms of office. 
この条1項は裁判所内部の人事は最高裁が支配すると言ってるようなものですが、「名簿によって任命する」とは「名簿どおり任命する」と少しニュアンスが違うので、合理的な理由があれば任命しないこともあり得るとも受け取れ、そこが気になります。
ただ、最高裁の名簿以外から内閣が勝手に下級の裁判官を任命できないということだけは確かでしょう。

また任期が10年間であるのは良いとして、「再任されることができる」とは学説により解釈が分かれるらしく、ここも気になります。
最高裁は過去に起きた再任拒否事件で、1項全体で最高裁の再任指名の自由裁量権を定めたものであるとして、任期終了者を任命名簿に載せない場合もあるという立場をとっています。
しかし1項だけを文言どおりに読むと「その裁判官は再任されることができる」としかないので、再任されることができない場合について全く触れておらず、最高裁の解釈は恣意的で偏ったものと言えるように思われます。
(ここに挙げた再任拒否事件の当事者は青法協の会員だったことを付記しておきます。)
第81条



Article 81.
〔最高裁判所の法令審査権〕
最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
 The Supreme Court is the court of last resort with power to determine the constitutionality of any law, order, regulation or official act.
違憲立法審査権とか違憲審査権とか呼ばれるものを規定しているというのが、この第81条ですが、いくつかの問題があるとされていますので、列記してみます。

@ この条では最高裁に違憲審査権があるとしているので、下級審では憲法判断はできないのか?という疑問があります。
しかし最高裁はこれについて、下級審でも違憲審査権を認めるという判断を示しています。
(最高裁大法廷判例、昭和25年2月1日の該当箇所原文)
「憲法は國の最高法規であってその條規に反する法律命令等はその効力を有せず、裁判官は憲法及び法律に拘束せられ、また憲法を尊重し擁護する義務を負うことは憲法の明定するところである。從って、裁判官が。具体的訴訟事件に法令を適用するに當り、その法令が憲法に適合するか否かを判斷することは、憲法によって裁判官に課せられた職務と職權であって、このことは最高裁判所の裁判官であると下級裁判所の裁判官であることを問わない。憲法第八一條は、最高裁判所が違憲審査權を有する終審裁判所であることを明らかにした規定であって下級裁判所が違憲審査權を有することを否定する趣旨をもっているものではない。」

A もし第81条がなければ、裁判所には違憲審査権がないのか?という疑問に対しても、最高裁ははっきりこれを否定する判断を下しています。
(最高裁大法廷判例、昭和23年7月8日の該当箇所原文)
「現今通常一般には、最高裁判所の違憲審査権は、憲法第八一条によって定められていると説かれるが、一層根本的な考方からすれば、よしやかかる規定がなくとも、第九八条の最高法規の規定又は第七六条若しくは第九九条の裁判官の憲法遵守義務の規定から、違憲審査権は十分に抽出され得るのである。」

B 裁判所法第10条では、憲法判断を伴う最高裁の審判は必ず大法廷で行うと定めていますが、これは第77条〔最高裁判所の規則制定権〕を侵すものではないのか?という点については、疑問が残ります。
と言うのも「最高裁判所裁判事務処理規則」第9条で、事件はまず小法廷が審理すると規定しているのですが、そのあとに例外として、裁判所法第10条のケースを挙げているのです。
同規則第9条が裁判所法第10条を追認する形になっており、司法と立法の一体性と言えば聞こえは良いのですが、事実上は内閣(行政)で決めたことが国会(立法)を通じて裁判所(司法)に従わせているとしか思えません。
第82条
   1
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Article 82.
〔対審及び判決の公開〕
裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行う。
裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行うことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第3章で保障する国民の権利が問題となっている事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。
1 Trials shall be conducted and judgment declared publicly.
2 Where a court unanimously determines publicity to be dangerous to public order or morals, a trial may be conducted privately, but trials of political offenses, offenses involving the press or cases wherein the rights of people as guaranteed in Chapter III of this Constitution are in question shall always be conducted publicly.
法廷の公開を謳っている第82条ですが、2項に非公開の例外があるとしている点が気になります。

濫用されると国民の利益が損なわれかねないので、いちおう但し書きが付けられてはいます。
さらに対審(相対立する訴訟当事者に、裁判官の面前で口頭で、その主張を対抗させて審理すること)に限られ、判決は公開ですから、いわゆる秘密裁判を許すものではありません。

ただ日本の法廷公開制で最も問題なのは、裁判所規則に依って、いかなる事件でもその審理について、実況放送はもちろん撮影・録音・録画などの一切が、原則的に禁じられていることにあります。
傍聴できる人数には当然限りがある上に、かってはメモを取ることさえ禁じられていたほど制限のついた公開制です。

これを外国と比較するとどうでしょう。
残念ながらそのようなデータを検索で調べ出すことはできませんでした。
しかし日本のテレビ放送では、海外の面白映像や衝撃映像を集めた番組が頻繁に放映されますが、その中で、法廷内で起きた暴行事件などの映像を見たことが何度もあります。
ということは、法廷にテレビカメラを持ち込むことを認めている国が、いくつもあるということでしょう。やはり日本の法廷の公開には制限がありすぎると思う次第です。

報道機関がこれを問題としないのは、彼らにとって報道とは商品であって、取材とは商品の仕入れにすぎませんから、一般の傍聴人と同様の制限を受けているのに、どうやって裁判長の読み上げている判決要旨を記録できるのか分かりませんが、ともかく彼らには判決要旨さえあれば、報道素材としてはそれで十分だと考えているのでしょう。
報道機関が国民の知る権利を代表しているなどと言うのは、単なる建前あるいは詭弁でしかないという良い例です。
第7章 財政 
第83条


Article 83.
〔財政処理の要件〕
国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。
 The power to administer national finances shall be exercised as the Diet shall determine.
第83条は財政民主主義あるいは財政国会中心主義を謳ったものとされています。

国の財政は、国民の負担に直接関わるものですから、国民の監視の下におくことは、民主的な財政制度にとって不可欠です。また、国の財政を国民が監視することは、行政を実効的にコントロールすることでもあります。
この考え方が財政民主主義と呼ばれるものであり、それを国民が代表を送り込んだ国会が実行するので、財政国会中心主義とも呼ばれるようです。

しかし現憲法では、議院内閣制を採用し、しかも内閣に独裁的とも言える権限を許しているのに、果たしてこの条文は財政民主主義という意味があるものと言えるのか大いに疑問です。
しかも、首相の指名権も予算の議決権も、衆議院が圧倒的に参議院に対し優位に立っているということは、財政処理の行使権は衆議院の多数派の支配下にあることにほかなりません。

だからもし、この条が財政民主主義を謳っているというのが本当なら、少なくとも予算の議決権について、衆議院に絶対的な優位を与えるべきではありません。つまり他の議案と同様、予算案も参議院否決の場合は、衆議院の3分の2以上の賛成による再可決を必要とすべきではないかと思う次第です。
第84条



Article 84.
〔課税の要件〕
あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。
 No new taxes shall be imposed or existing ones modified except by law or under such conditions as law may prescribe.
租税を課するには法律の定めが必要だと言ってるわけですが、以前にも触れましたが、短い条文ほど字義の明確さが問題になるという例の一つです。

まず租税とは何かという問題に突き当たります。
 一般的には租税は税金の意味ですが、裁判所の判例では、「租税とは、国家が、その課税権に基づき、特別の給付に対する反対給付としてでなく、その経費に充てるための資金を調達する目的をもって、一定の要件に該当するすべての者に課する金銭給付である」とされており、狭義の税金だけではなく、負担金・分担金・手数料・納付金・使用料等、国が国権に基づいて収納する課徴金にも適用されると解されています。 (それを否定する学説もあるようです。)

また地方税法が、第84条の「法律または法律の定める条件」にあたるので、自治体はこれに違反しない限り、条例で課税することができるものとされ、国以外に自治体が条例で課した税金や負担金も、上記と同様の意味を持っています。
 地方自治法でも、自治体は法律や政令の処理事務に関して条例を定めることができると規定しているので、ここでもやはり課税を条例で制定できると解釈できます。 
さらに憲法の第8章地方自治で、自治体には、地方自治の本旨に従い「その財産を管理し、事務を処理し、行政を執行する権能」を認められているので、それに必要な財源を自ら調達するのは当然であると、これまた裁判所の判例では解釈されています。

こうもしつこく自治体の課税権を肯定する事例があるというのは、逆に考えると、自治体が法律的に疑問のある(石原元都知事の「外形標準課税(銀行税)条例」のような)条例を決めてしまうことが、ちょくちょくあるということでしょう。

もう一つ問題なのが、省庁や自治体の通達で課税する場合があるという点です。
 これは、通達で法解釈を変えることにより、課税対象とされなかったものが、突然、課税されることになるという事件(旧物品法時代のパチンコ球遊器課税事件)があったことで問題になりました。 
ただこの問題は、何も租税について限ったことではなく、国会審議を通さない行政の内部文書である通達が、行政実務を牛耳るという実態のほんの一部を示しているに過ぎないと言えるでしょう。
第85条


Article 85.
〔国費支出及び債務負担の要件〕
国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。
 No money shall be expended, nor shall the State obligate itself, except as authorized by the Diet.
第85条と第86条と続けて読むと、一見、第65条で「行政権は、内閣に属する。」と定めていることと矛盾するかのように思えます。

と言うのも、国費支出がなければ行政権を行使できるはずもなく、行使できないものを内閣に属すると定めても何の意味もないと思うからです。
これをどう理解すれば良いかという説明は、ネットの検索では見つかりませんでした。
たぶん第66条の3項に「
内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ」と定めているので、それがこの疑問の答えでしょう。

そんなことより、この第85条で問題なのは「国が債務を負担するには」という文言でしょう。
単純に読めば、国会の議決があれば国(政府)は国債を発行できるとしか言ってないようですが、他の条文には出てくる「法律により」とは言わず、「国会の議決に基く」としているのは、少し奇妙な印象を受けます。

「財政法」第4条で、「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない」として、国の借金による行政遂行を禁じる原則を定めていますが、それに続けて「但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる」といわゆる建設国債の発行の根拠を規定しています。


それだけなら良かったのですが、通称「特例公債法」を1975年からほぼ毎年のように制定して、赤字国債を発行するようになり、現在では毎年制定することさえ省略し、2012年に「財政運営に必要な財源の確保を図るための公債の発行の特例に関する法律」という長ったらしい名の新「特例公債法」を国会議決させて特例の期間を3年間とし、2015年度末には東日本大震災復興対策を名目に、2020年まで5年間延長させて、赤字国債を発行し続けるという状態です。

これが第66条3項の内閣と国会の行政権行使における連帯責任の実態とは、まったく呆れるほかはありません。
第86条


Article 86.
〔予算の作成〕
内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。
 The Cabinet shall prepare and submit to the Diet for its consideration and decision a budget for each fiscal year. 
第87条
   1


   2

Article 87.
〔予備費〕
予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。
すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。
1 In order to provide for unforeseen deficiencies in the budget, a reserve fund may be authorized by the Diet to be expended upon the responsibility of the Cabinet.
2 The Cabinet must get subsequent approval of the Diet for all payments from the reserve fund. 
この条の1項はしごく当然のことを規定しています。

毎年の予算の中に予備費を計上しておかなければ、不測の事態が生じた場合に備えることができず、まさか国家予算で支出項目の中に水増し金額を加えておくわけには行かないから当然の規定といえます。

2項で事後に国会の承諾を必要とすると定めているのも、また当然のことだと言えるでしょう。
ただし、承諾を得られなかった場合に一切触れていませんので、直接的に予備費の支出について、国会が内閣の責任を問うことはできません。
万一、国会が承諾できないような支出を行った内閣に対しては、不信任決議をもってその責任を取らせる以外にはなく、事実上、2項は国会と言っても衆議院の承諾さえ得られれば良いという意味になります。

過去に、衆議院では承諾されたのに参議院では承諾されなかった予備費支出の例は2件あり、2006年度のイラクやインド洋への自衛隊派遣関連経費等を盛り込んだ事後承諾案件5件が、2008年度5月の参議院で不承諾となったという事例がありますが、執行当時の(小泉)内閣からすでに交代していたこともあり、単にそのころのネジレ国会を象徴する出来事として終わっています。

ですから、議院内閣制の日本では、国会議決における政党の党議拘束が当然のように行われ、首相に解散権を握られた衆議院で、政府与党が承諾に賛成しないはずがないのが実情ですから、2項の規定はまったく形式的な意味しかないと言わざるを得ません。
第88条



Article 88.
〔皇室財産及び皇室費用〕
すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。
 All property of the Imperial Household shall belong to the State. All expenses of the Imperial Household shall be appropriated by the Diet in the budget.
この条で、皇室が戦前のように莫大な私有財産(預貯金・株式・不動産)を持つことが否定されました。

「天皇家の財布」という本に書かれているようですが、
第2次大戦後GHQは皇室の経済を財閥と同じものと見なし、その解体を図りました。
GHQに
解体される前の三井や三菱等の財閥が数億円の資産であったのに対して、天皇家はその20倍(!)ほどの資産を持っていたというから驚くほかありません。(日本全国にまたがる広大な御料林で林業を営み、その収益をもとに主要企業の大株主となっていました。)
結局、
それまで課されていなかった財産税が皇室財産に課され、そのほぼ9割を物納の形で国有財産に移管させる形で、皇室財産を国に納めさせました。
具体的な金額では、天皇家は財産税33億4268万円を課税されたということです。(1947年度の国の一般会計予算額が2,142億円だったことと比較すると、ものすごい金額です。)

このような歴史的事実を考えれば、第88条の規定は、至極もっともだと思われます。
ただこの条の趣旨は、
皇室が大きな経済力を保有することで、 皇室と特定の個人や団体が結びつき、不当な支配力や利害関係を持ったり、経済社会に対する実際的な影響を与えたりすることの防止にあり、天皇や皇族が私有財産をもつ能力を完全に否定するものではなく、 日常生活に必要なものなどの個人的な財産の私有は認められるものとされています。

ではその天皇家の私的財産はどの程度かというと、内廷費の余剰を貯めた金融資産を銀行預金、株式、債券などの有価証券に換えて保有するほか、代々伝わる(多くが国宝級の)美術品、祭祀に用いる神器等々、決して少ない額ではありません。
昭和天皇が崩御ののちに宮内庁が発表した数字によれば、相続税算出の基礎となる課税遺産額は18億6911万4千円。それを2で割った9億3455万7千円を香淳皇后と今の天皇が相続し、皇后は配偶者控除により相続税はなく、天皇は4億2800万の相続税を支払ったそうです。

さて税金で負担される皇室の(直接的な)費用ですが、「皇室経済法」には「予算に計上する皇室の費用は、これを内廷費、宮廷費及び皇族費とする」と区分しています。
内廷費は定額で、2016年度は3億2400万円、天皇皇后及び皇太子一家の日常の費用その他内廷諸費に充てられる御手元金となり、宮内庁の経理から離れ公金とはされません。(だから余れば私的財産になります。)
宮廷費は2016年度55億4,558万円で宮内庁の経理する公金です。
皇族費は各宮家の皇族に対し年額により支出され、2016年度の定額は3,050万円を基礎の額とし、各皇族ごとに皇族費を算出され、総額では2億2,997万円です。これも各皇族の御手元金となり、宮内庁の経理から離れます。
というわけで合計約62億円になりますが、間接的な皇室費用として、それ以外に宮内庁費109億円、皇宮警察本部72億円(2016年度予算)がありますので、総額では240億円以上。これが高いか安いかはここでは論じません。

第89条
 Article 89.
〔公の財産の用途制限〕
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
 No public money or other property shall be expended or appropriated for the use, benefit or maintenance of any religious institution or association, or for any charitable, educational or benevolent enterprises not under the control of public authority. 
この条の前段では、国や自治体の財産を宗教団体に使わせてはならないと言ってますが、もし字義どおり解釈すると、宗教団体は市民ホールなどを借りることができないはずです。

しかし、最高裁の判例(1993年2月、箕面忠魂碑事件判例)によれば、この条文でいう宗教団体とは、布教や具体的な宗教行為の実践を本来の目的とする団体に限られるそうなので、実際には抜け道があることになります。
第20条の政教分離規定と並んで、自治体が宗教がらみの行事や特定団体への施設供用を行うことに、微妙な問題を含んでいる条文と言えそうですが、最高裁の判例(上記の箕面忠魂碑事件と、1977年7月津地鎮祭事件)のおかげで、適当に誤魔化されている感じがします。

これを最近の、憲法についての講演やシンポジウムに対して、公共のホールなどの貸出許可を自治体が取り消すという例が相次いでいることや、君が代斉唱の時に起立しないというだけで公立学校の教員が処分されていることなどと比較すると、今の日本の公共(国と多くの自治体)は、宗教にはルーズで、思想には偏向的で、公正さを欠くとしか言いようがありません。

後段については、「公の支配」とは何かが具体的に示されていないために、極端なのは「私立学校の助成は全て違憲」というのから「有用な団体の活動なら許されるのが当然と解すべきだ」というルーズなものまで、解釈に諸説あって、たびたび触れていますが、この憲法の曖昧さの最たるものと言えるでしょう。
第90条
   1


   2

Article 90.
〔会計検査〕
国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。
会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。
1 Final accounts of the expenditures and revenues of the State shall be audited annually by a Board of Audit and submitted by the Cabinet to the Diet, together with the statement of audit, during the fiscal year immediately following the period covered. 
2 The organization and competency of the Board of Audit shall be determined by law.
第90条は現憲法の中では、明治憲法にある条文をほぼ踏襲している数少ない例の一つです。

まあこういう制度があること自体は当然だし良いことなのですが、その割には国には無駄な支出が多すぎると思っている国民は多いのではないでしょうか。
予算については、第86条に国会の承認を必要とするという確たる規定がありますが、決算については、この条の中に「次の年度に国会に検査報告とともに提出する。」と義務付けているだけで、検査院の検査報告には、何ら法的な拘束力が与えられているわけではありません。
そればかりか、国会での扱いは、予算案と違い決算は報告案件であって審議案件とされない、という慣行がありますので、内閣は検査報告についての説明を求められる程度の責任しか国会では果たしません。

個々の行政官庁の支出については、会計検査院が是正・改善の意見表示あるいは要求することができますが、実際の命令権はあくまでも内閣のもので検査院にはありません。

そもそも「決算」という言葉自体、現憲法ではこの条でただ1回しか使われていないほど、軽く扱われています。民間団体の決算と比べ、なんと軽い扱いだろうと呆れてしまいます。

結局、決算においても、内閣の命令・監督・執行行為の多くと同様、その内容に非や瑕疵があっても責任を取らせるには、衆議院における内閣不信任決議以外に有効な手続きはないということになります。

この程度の制度にすぎませんから、会計検査院法に、内閣から独立した組織ではあるとしながら、その意思決定を行う検査官は内閣が(国会の同意を経て)任命すると定めていることについて、会計検査の独立性を云々しても大して意味はないように思えます。
(憲法の中で定められている国家機関は、国会、内閣、裁判所以外には、この会計検査院しかないという存在であるのにです。)
第91条


Article 91.
〔財政状況の報告〕
内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少くとも毎年1回、国の財政状況について報告しなければならない。
 At regular intervals and at least annually the Cabinet shall report to the Diet and the people on the state of national finances. 
この条で言う財政状況の報告とは、いったい何のことでしょう。

Wikipediaには、概略このような説明があります。
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本条を受け、毎年1月に召集される国会本会議で財務大臣が財政状況について演説を行う。
『財政法』によって、内閣は、成立した予算・前前年度の歳入歳出決算・公債、借入金・国有財産の現在高・その他について、官報等により毎年、国民へ財政報告がなされている。

前者の財政状況の演説は、次の「政府四演説」の一つとされる。
内閣総理大臣 - 施政方針演説(所信表明演説)
外務大臣 - 外交演説
財務大臣 - 財政演説
経済財政政策担当大臣 - 経済演説
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とまあ一見、れっきとした報告であるかのようですが、財政演説の主たる内容は翌年度予算案の趣旨説明に充てられている上、毎年1回やればいいとされてますから、国会への報告といっても大したものではありません。
自民党の憲法改正草案によれば、この第91条の「国会及び国民に対し」から「及び国民」を抹消しています。各省庁の執行業務内容などは、最近はHPで公開しているから、いちいち憲法に明記する必要はないとでも言いたいのでしょう。

しかし現状でさえ、国民が国のフトコロ具合を知る機会は、年に1回以上与えられるとしか憲法が保障しないとは、ずいぶん国民も安く見られているものだと思いますね。
第8章 地方自治 CHAPTER VIII. LOCAL SELF-GOVERNMENT
第92条


Article 92.
〔地方自治の本旨の確保〕
地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。
 Regulations concerning organization and operations of local public entities shall be fixed by law in accordance with the principle of local autonomy.
「第8章地方自治」全体が、明治憲法にはこれに相当するものがなく、道府県制と市町村制の法律と地方官制の法律とによって、地方自治が定められていました。
官選知事制であったことを引き合いに出すまでもなく、権限と人事の面で国が強い監督権を持ち、地方自治とは言っても、きわめて中央集権的な性格を有していたのに対し、戦後、突如として地方自治が改定憲法に盛り込まれたわけです。

戦後日本の民主主義化の一環であると考えれば、それで良いのかもしれませんが、この条文でどうにも引っ掛かるのが、「地方自治の本旨」という言葉です。
明治憲法には条文がないほどに、地方自治という法制度は日本の国家制度の根幹をなすものとはされず、名ばかりの制度に過ぎなかったのに、いきなり「本旨に基いて」とは、あまりに唐突としか言いようがありません。
しかも「地方自治法」の中にも「本旨」とは何かを明記していなのです。

こんな規定ですから、学説でも欧米流の地方自治の概念を翻訳しただけの「地方自治の本旨とは、団体自治と住民自治の2つの要素からなる」などとする、寝ぼけたような解釈が一般的らしいです。

しかし、どう見ても日本の地方自治制度は、天皇制と同様、まるであたかもそれがあることが自明の理・天与の法理のように扱われているに過ぎないというのが、ボクの解釈です。
天皇という超越的権威を看板にした政権が明治維新によって発足し、それ以前の幕府による中央集権的分国制を、中央集権的官僚支配体制に変えました。
これによって、江戸時代までの「殿様」支配の自治体であった藩(お国)の支配階級だった士族たちが、各地で反乱を起こし、ついには西南戦争という大乱にまで至りました。
このような士族を中心とした分国意識の強かった日本に、欧州の立憲王政国家の制度をモデルにした住民代表参加型の地方自治制度を形式的に持ち込んだのが、明治憲法の制定にあたった当時の政府です。
だから欧米の地方自治の成り立ちとは異なり、日本では国家にも国民にも、地方自治の本旨と呼べるようなものが、意識の中に定着していなかったのではないかと思います。

それにもかかわらず「地方自治の本旨」などといきなり書いてあるから、唐突だと言わざるを得ないわけなのです。
第93条
   1

   2


Article 93.
〔地方公共団体の機関〕
地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。
1 The local public entities shall establish assemblies as their deliberative organs, in accordance with law. 
2 The chief executive officers of all local public entities, the members of their assemblies, and such other local officials as may be determined by law shall be elected by direct popular vote within their several communities.
第93条では地方公共団体の行政組織には触れず、議会と首長その他の吏員について規定しています。

前条で「法律でこれを定める」と包括的な言い回しをしているのに、わざわざ別の条文にしているのは、どういうわけでしょう。
地方自治の本旨の中に、議会の設け方や首長の選び方も自治体自らが決めるという意味は含まれてないということでしょうか。
だとすると、この条文は日本の地方自治制には中央集権体質が織り込まれていることを表していると思います。

第8章を通じて言えることなのですが、日本の地方自治制度については、いくつも不明確な点があり、憲法の中では、あえてそれに触れていないような印象です。
例えば、日本の地方自治はなぜ都道府県と市町村の二階構造なのでしょう。
国は都道府県と市町村それぞれに対して、どのような指揮監督権・命令権を持つものかも明確ではなく、実際の行政上では分野によって、こまごまと使い分けられているようです。

また第8章においてのみ「住民」という言葉が用いられているのですが、「国民」については第10条に法律でその要件を定めると明記されているのに対し、「住民」については何の定めもありません。
最高裁では「地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民」であると判断した例があるそうですが、その一方、自治体が地方選挙権を永住外国人に与えると条例で定めても違憲ではないとしているとのことで、極論すれば「住民」とは自治体が勝手に定義して良いということになります。

また別の問題として、この2項には住民が直接選挙する者に「その他の吏員」とあります。
現在、これに該当するのは「農業委員会」と「漁業調整委員会」の委員の一部だけで、大都市の住民にはほとんど関係がなく、前にも触れましたが、「教育委員会」委員の公選制は、とっくの昔に廃止されています。
事実上、住民が選挙できるのは、地方行政の最高責任者と地方行財政のチェック機関である議会の議員だけです。
つまり司法関係には住民は関与できません。
次の第94条で、国の法律に反しない限り、自治体は条例制定という立法権を与えられていることを考えると、地方自治体には三権の内、司法権が欠けていることになるのですが、これについて日本ではあまり論議されたことはなさそうです。
第94条



Article 94.
〔地方公共団体の権能〕
地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。
 Local public entities shall have the right to manage their property, affairs and administration and to enact their own regulations within law.
この条の解釈にも、いろいろ問題があるとされているようです。
前段の執行権限は当然の定めであるとして、後段に「法律の範囲内で条例を制定」とあるのが曲者です。

法律の範囲内とは、どういう意味でしょう?
たとえば法律で定められた規制よりも、厳しい(あるいは逆に緩い)規制を条例で定めてはならないという意味なのか。
法律に定められていない事柄について、独自に規定する条例を定めてはならないという意味でしょうか。

ここには「法律の範囲内で」と記されていますが、「地方自治法」第14条では「法令に違反しない限りにおいて第2条第2項の事務に関し、条例を定めることができる」となっていて、条例制定に具体的な条件を課しています。
その第2条第2項とは「普通地方公共団体は、地域における事務及びその他の事務で法律又はこれに基づく政令により処理することとされるものを処理する。」というものです。
この第2条と第14条を字義どおりに解釈すれば、自治体は国からの受託業務を執り行うための条例だけを、法令に沿って定めることしかできないように受け取れ、まるで自治体独自の条例を否定しているかのようです。

憲法では法律と言い、地方自治法では法令と言ってますが、国が自治体に発する命令には、法律・政令(または施行令)・省令(または施行規則)・通達という各段階がありますが、自治体はそのどこまで遵守しなければいけないのでしょうか。

また憲法と照らしての問題では、条例には違反に対しての罰則を規定できますが、自治体によって、その罰則の適用条件が異なる場合、同じ国民が同じ行為に対して地域により異なる罰則を受けることが、憲法第14条(法の下に平等)に抵触するのではないかという疑問もあります。

とまあ、疑問点をつらねてきましたが、それぞれに最高裁の判例のような答えがあるにはあるのです。
ですが、内容的に納得できないものが多く、首尾一貫しておらず、ケースバイケースで異なる判断をして良いなどと、平気で判決文の中に書いてあったりしているので、ここでは紹介しません。
第95条




Article 95.
〔一の地方公共団体のみに適用される特別法〕
一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。
 A special law, applicable only to one local public entity, cannot be enacted by the Diet without the consent of the majority of the voters of the local public entity concerned, obtained in accordance with law.
第95条は現代の眼から見ると、こんな条文があったのかという印象ですが、実際に16例の特別法があり、19回の住民投票が行われたということです。

その最初が1949年の「広島平和記念都市建設法案」と「長崎国際文化都市建設法案」で、最後は1952年にあったきりですから、一般人の記憶には残らなくて当然かもしれません。
16例はいずれも国会議決後に住民投票で賛成多数となって成立し公布されています。それも当然で、戦後の復興や観光振興のために、自治体に財政的優遇措置を与えるものでした。
そのためか、戦後復興期を終えると、まったく適用例はなくなったのでした。

ですが、この条文が設けられた本来の趣旨は、特定の自治体に不利益を与えるような立法は許されないという、住民意思の尊重にあると解釈されるのが学説的には普通のようです。
そう考えると、過去の例の大半は国が自治体を援助するものであって、自治体の権限や住民の権利を損なうものではなかったにもかかわらず、特定の自治体に適用されるというだけで住民投票を行う必要があったのだろうかという疑問があります。

むしろ今日的な問題としては、安保条約や日米地位協定に基づく国内法整備に際して、沖縄県を端的な例とする、米軍基地の置かれた自治体で、まったく住民投票を認められなかった点にあるでしょう。
というのも第95条にある「一の地方公共団体」とは一つの自治体という意味ではなく、特定の自治体を意味するとされており、実際に1950年に成立した「旧軍港市転換法案」では、横須賀市、呉市、佐世保市、舞鶴市の4市が適用対象となっています。
となると、米軍施設負担そのものは全国各地に存在し、沖縄県の抱える問題は、米軍基地の極度の集中であるかのように論じられていますが、その見方を変える必要があるはずです。
つまり米軍施設のある自治体は「一の地方公共団体」にあたるわけですから、それに適用される特別法は、住民投票による賛成を得なければ、憲法違反と主張しても良いと思うわけです。

おそらく国の見解あるいは最高裁まで行った場合の判断は「この特別法の特別とは、特定の地方公共団体に何らかの措置を与える目的を有するという意味であって、米軍駐留関連の法律はこれには該当しない」というようなものでしょう。
先に記したような普通に学説的に解釈される第95条の趣旨とは、まったく反するかのような答えが返ってくるはずです。

しかし一方では、沖縄県だけを取り上げると、沖縄県だけを措置するための立法がしばしば行われています。
例えば、1972年の日本返還後の沖縄県では、米軍使用地に民有地が圧倒的に多かったため、日本政府は地主からの返還要求を、時限立法として「公用地暫定使用法」を前年に成立させて抑え込み、5年間の強制使用の時限が切れると、さらに「地籍明確化法」なるもので期限を延長し、それも1982年に法の期限を迎えると、こんどは1952年制定の「駐留軍用地特措法」(前年成立した安保条約の国内法整備の一つ)を21年ぶりに、沖縄県に適用しました。
1996年に一部米軍使用地でその期限が切れると、1997年4月に同法案を改定し事実上無期限永久に米軍使用の民間地を強制借用できるようにしています。
(この駐留軍用地特措法改定は、第2次橋本内閣のもと、自民党、新進党、民主党、新党さきがけ、太陽党が同意し、衆参両院で9割前後の圧倒的多数による賛成で可決しています。)

しかし、これが憲法第95条違反でないとしたのなら、彼ら日本の保守政党には憲法遵守精神などまったくないという、良い証拠でしょう。
これほど極端にひどい例は沖縄県以外にないとはいえ、市町村レベルに限ってみれば、安保関連法によって住民の権利と自治体の権限が制約されている例はいくらでもあるはずです。
実際、そのような行政訴訟はたびたび起こされているにもかかわらず、最高裁まで持ち込まれた結果は、第95条を無視し、軍事・外交における国の裁量権と日米間の条約を、違憲審査よりも優先するという判断ばかりが下される始末です。

あまりに都合が悪い条文なので、自民党の改憲案(2005年11月)には、この条文がそっくり削除されているという話ですから、彼らの唱える「地方創生」というお題目のでたらめさ加減に怒りさえおぼえます。
第9章 改正 CHAPTER IX. AMENDMENTS
第96条
   1




   2


Article 96.
〔憲法改正の発議、国民投票及び公布〕
この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
1 Amendments to this Constitution shall be initiated by the Diet, through a concurring vote of two-thirds or more of all the members of each House and shall thereupon be submitted to the people for ratification, which shall require the affirmative vote of a majority of all votes cast thereon, at a special referendum or at such election as the Diet shall specify. 
2 Amendments when so ratified shall immediately be promulgated by the Emperor in the name of the people, as an integral part of this Constitution. 
さあこれが問題です。

と言うよりも、第96条の憲法改正のハードルが高いものでほんとに良かった。現憲法の中でいちばん良い条文だと言っても過言ではないと思うくらいです。
何がそれほど良いかと言うと、他の法律とは違い、国民が直接的に賛成することが必要であると明記されているからです。
しかも「投票の過半数の賛成」が必要としてあります。
選挙投票と違い○×投票ですから、無効票があろうはずがなく、もし無記入の投票があるとしても、賛成であるかを問うという性質の投票なのですから、「賛成ではない票」と見なすべきです。従って、この条にある「投票において、その過半数の賛成を必要とする」というのは実に的確な規定であると言えます。
(自民党の改定案では、ここを「有効投票の過半数」に変えようとしています。)

もう一つ見落とせないのは、二院制の意義がこの条ではじめて見いだせるという点です。
この条では衆参両院の優劣関係を否定しています。つまり憲法改正を発議するためには、参議院選挙2回と衆議院選挙1回の合計3回で、改憲派が3分の2以上の議席を獲得するか、参議院選挙のうち1回で地滑り的圧勝をして一気に参議院議席の3分の2を獲得した上で、衆議院選挙でも同じく勝利しなければならないということになります。
これが容易なことではないのは、今までの国会議席の推移を見れば明らかですが、その意味では、現在の議席分布は護憲派にとって、かなり危機的状況にあります。
(自民党の改定案では3分の2条件を過半数に引き下げるとしています。)

この条文が、いかに改憲派にとって都合が悪いかは以上のとおり明らかです。本格的改憲論議に入る前に、まずこの96条だけ先に改定してしまおうと自民党が画策したのも当然ですが、さすがに公明党もこれには追随しないようです。
ですから国民の側も、この条を安易に変えることは、悪魔に魂を売ることと同じだと考えてほしいものです。
第10章 最高法規 CHAPTER X. SUPREME LAW
第97条





Article 97.
〔基本的人権の由来特質〕
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
  The fundamental human rights by this Constitution guaranteed to the people of Japan are fruits of the age-old struggle of man to be free; they have survived the many exacting tests for durability and are conferred upon this and future generations in trust, to be held for all time inviolate. 
第97条も自民党に最も嫌われている条文の一つで、彼らの改憲案には全くこれに該当する条文はありません。

自民党や一部の憲法学者は、この条は第11条
〔基本的人権〕と重複する内容だから必要がないと主張しているらしいです。
文言が重複するから要らないというのは、第3章(国民の権利と義務)と第10章(最高法規)の趣旨の違いを無視した暴論であることは、今さら言うまでもありません。
第2章は、この憲法が国民に保障する内容を具体的に箇条書きにしたものであり、第97条はその由来あるいは裏付けを明確にしたものです。
つまりこの条がなければ、「国民が持つ基本的人権とは憲法が与えたものである」という、実に国家主義的な思想を含む憲法になりかねません。

そうではなく、基本的人権とは憲法などの法規に由来するものではなく、「人類」が獲得したものであると宣言しているのが、この条文です。
上下関係で言えば、基本的人権の思想は憲法の上に位置するものであると意味するものです。

この憲法私注で再三ふれている欧米の市民革命を経て確立されてきた思想であり、議会制民主主義体制のバックボーンとなるものであって、明治憲法という上から与えられた憲法を改定するにあたって、何よりもまず明らかにしておくべき国家としての根本的価値観が基本的人権なのです。

改憲論者には、この条がGHQの特定人物の体面を保つために盛られた条文だから、第11条と重複するし、付け足しのような箇所に置かれたのだと説明している言説もあるようですが、この条の意義を理解していないためにそう主張しているとしたらよっぽどのバカで、恐らくその意義が分かっているからこそ、頭からこの条を否定したいのでしょう。

反共・反革命・反革新・国家主義に拘る者たちから見れば、これほど不愉快で不都合な条文はないだろうから、それも当然の成り行きです。
第98条
   1


   2

Article 98.
〔憲法の最高性と条約及び国際法規の遵守〕
この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
1 This Constitution shall be the supreme law of the nation and no law, ordinance, imperial rescript or other act of government, or part thereof, contrary to the provisions hereof, shall have legal force or validity. 
2 The treaties concluded by Japan and established laws of nations shall be faithfully observed.
第10章を通して言えることですが、いったいなぜこれらの条項が憲法の冒頭に置かれなかったのか、現代的な感覚から見れば不思議としか言いようがありません。

まず全体の趣旨を述べ、以下に具体的な決め事を箇条書きにするのが当然だと思うからです。
「いろんなこと言ったけれど、とにかく守らないとだめだよ」
「それはともかく人との約束事はちゃんと守りなさいよ」
だなんて、まるで小学校の担任の先生が、生徒に学校のルールを教えているときのような感じです。

たぶん現憲法が、制定手続きにおいて明治憲法を継承した形にするだけはなく、法規としての体裁の上でもあくまでも明治憲法を改定したものであると、帝国議会などの審議の場で言えるようにしたかったのだろうと思われます。
であるからこそ、冒頭にまず天皇の国家に占める位置と権能についての規定を置いたのでしょう。
つまり明治憲法改定の過程の中で、当時の関与した人々の多くには、基本的人権思想や国民主権思想が、天皇制の国体思想より下位に置かれていたという証左であると思います。
まあこれはあくまでも個人的な想像に過ぎないですが。
第99条



Article 99.

〔憲法尊重擁護の義務〕
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。
 The Emperor or the Regent as well as Ministers of State, members of the Diet, judges, and all other public officials have the obligation to respect and uphold this Constitution. 
第99条は最近、違反例が非常に多発しています。

ここで言う公務員とは国の機関で働くもの(国家公務員)だけではなく、地方公共団体で働くもの(地方公務員)も指すということになっています。
となると、自治体の首長以下の地方公務員も、当然この憲法を尊重し、擁護する義務があります。
ところが最近、憲法を(特に護憲の立場で)議論する催しの会場に、公共施設の使用申請を行うと、拒否もしくは許可取り消しという事件がたびたび起きているようです。

公民館や市民会館などの公共施設について、宗教団体や営利を目的とした活動団体には貸し出しを行わないという自治体の条例あるいは施設の使用規則などは、常識の範囲といえます。特に宗教団体に関しては憲法第20条と第89条に違反するものです。
しかしこれらと同類と見なして特定の政治団体には利用させなくとも良い、とまでは認められないという司法判断が下されています。

@ 地方自治法244条2項「普通地方公共団体は正当な理由がない限り住民が公の施設を利用することを拒んではならない」に関する判例。<最高裁1995年3月7日判決>
A 社会教育法23条 公民館運営規定にある「特定の政党の利害に関する事業」とは、文字どおり「特定の政党」の利害に関する政治的活動を指すのであって,単なる政治的活動を指すのではないとした判例。<佐賀地裁2001年11月22日判決>

また絵画や俳句の展示会で、内容が政治的であるという理由で、施設側が主催者に特定作品を撤去させる事件も相次いでいます。
施設(自治体)側の弁は、政治的内容が、その作品展示を許した自治体の意見と受け取られる可能性があるからというものですが、単なる口実に過ぎないことは一般人の常識に照らせば明白です。

これが一部の反動的な人物や団体からのクレームを恐れての措置であるか、その自治体の首長などの個人的な意向によるものであることは間違いないでしょう。
法的に見ても、公共施設に置かれた民間団体の展示物が、自治体の意思を表すものと見なすことができないことぐらい承知の上で、あえて無理やり屁理屈を並べているとしか思えません。


これが憲法第21条
〔集会、結社及び表現の自由と通信秘密の保護〕と第99条〔憲法尊重擁護の義務〕に違反することは疑いようもないことです。

第11章 補則 CHAPTER XI. SUPPLEMENTARY PROVISIONS
第100条
   1

   2



Article 100.
〔施行期日と施行前の準備行為〕
この憲法は、公布の日から起算して6箇月を経過した日〔昭22・5・3〕から、これを施行する。
この憲法を施行するために必要な法律の制定、参議院議員の選挙及び国会召集の手続並びにこの憲法を施行するために必要な準備手続は、前項の期日よりも前に、これを行うことができる。
1 This Constitution shall be enforced as from the day when the period of six months will have elapsed counting from the day of its promulgation. 
2 The enactment of laws necessary for the enforcement of this Constitution, the election of members of the House of Councillors and the procedure for the convocation of the Diet and other preparatory procedures necessary for the enforcement of this Constitution may be executed before the day prescribed in the preceding paragraph. 
第11章は全体が、明治憲法から現憲法へと移行するのに伴い、事務手続き、関連法整備や移行期間中の暫定措置を規定したものにすぎませんから、スルーしてしまいたいところですが、いちおう個人的に引っ掛かる点があるので触れておきたいと思います。

第100条に記載はありませんが、この憲法の公布文の日付すなわち公布の日についてです。
現在は文化の日とされている11月3日が、1948年7月に「国民の祝日に関する法律」が施行されるまで、明治節とされていた(1927年勅令第25号「休日ニ関スル件」による)ことは、年配者か戦前のことに関心のある人なら承知していることでしょう。
言うまでもなく明治天皇の誕生日のことです。

ところで改正前の憲法すなわち明治憲法の発布は、1889年2月11日です。
言うまでもなく、現在の建国記念の日、かつての紀元節です。
この2点には当然、関連性があります。

つまりこのようなことでも、現憲法が明治憲法を継承しているものであると、当時の議会と国民に納得せしめようとしたのでしょう。
同時に、明治天皇治世の時代を国民の記憶に永続的にとどめ置くため、明治節を名称を変えて残しておくという意図も感じられます。
極論すれば、敗戦によって潜伏せざるを得なくなった皇国主義あるいは国家主義の残存部分と言えると思います。
それが顕在化したのが、1966年に紀元節が祝日に復活
した建国記念の日です。
第101条



Article 101.
〔参議院成立前の国会〕
この憲法施行の際、参議院がまだ成立していないときは、その成立するまでの間、衆議院は、国会としての権限を行う。
 If the House of Councillors is not constituted before the effective date of this Constitution, the House of Representatives shall function as the Diet until such time as the House of Councillors shall be constituted.
第101条以下はその目的を終え、今日的にはなにも意味を持たない内容だと思いますので、私注を加えるのは省略します。
というわけで、たいへん長々と書き連ねてきましたが、これにて日本国憲法各条についての個人的注釈を終えることとします。
ここまで読んでくださった方にはお礼申し上げます。

最後に、重ねて言いますが、現憲法は不完全で欠点だらけの憲法です。
それは、明治憲法の改定という手続きによって成立したことや、国民にまだ近代的市民意識が醸成される以前に制定されたこと、あるいは日本の改憲の当事者同士においてもGHQとの交渉においても十分に擦り合わせできるはずがなかったことといった事情を考えれば、致し方ないところです。
だからと言って、この憲法を無視したり軽んじたり歪曲したりすることが、行政や司法や政治家に許されるはずがありません。

あえて断言すれば、今の日本は官民による違憲行為が横行する時代です。違憲行為を正すのではなく、自らの行為を正当化するために憲法の方を変えてしまおうとする者たちを、国民の過半数が支持するようでは、この国の未来は暗いとしか言いようがありません。
これで終わりです。もうこれ以上言うべきことは残っていません。
第102条



Article 102.
〔参議院議員の任期の経過的特例〕
この憲法による第1期の参議院議員のうち、その半数の者の任期は、これを3年とする。その議員は、法律の定めるところにより、これを定める。
 The term of office for half the members of the House of Councillors serving in the first term under this Constitution shall be three years. Members falling under this category shall be determined in accordance with law. 
第103条







Article 103.
〔公務員の地位に関する経過規定〕
この憲法施行の際現に在職する国務大臣、衆議院議員及び裁判官並びにその他の公務員で、その地位に相応する地位がこの憲法で認められている者は、法律で特別の定をした場合を除いては、この憲法施行のため、当然にはその地位を失うことはない。但し、この憲法によって、後任者が選挙又は任命されたときは、当然その地位を失う。
 The Ministers of State, members of the House of Representatives, and judges in office on the effective date of this Constitution, and all other public officials, who occupy positions corresponding to such positions as are recognized by this Constitution shall not forfeit their positions automatically on account of the enforcement of this Constitution unless otherwise specified by law. When, however, successors are elected or appointed under the provisions of this Constitution they shall forfeit their positions as a matter of course.
参考文献:「日本国憲法署名原本」「大日本帝国憲法原文」「新字体による大日本帝国憲法」

2017年2月16日脱稿